こんにちは、凛です。
前回までは、『スサノオ』の地上界での活躍~『大国主』の国造り~天上界の神々が地上界を飲み込む『国譲り』神話までを紹介しました。
ここからは、「国譲り」の後に、天上界の神々が降りてくる『天孫降臨』から、お話が始まります。さてさて、お話はどんな展開を見せるのでしょう。それでは早速いってみましょー(*’▽’)
『日本神話 ショート・ショート』
(本文)
『天孫降臨』
『ミカズチ神』から『地上界』の ”併合” に成功した、と報告を受けた『アマテラス』と『高み結び』は、早速、五柱神の長男『おし穂みみ』に、地上界に降りるように命じます。
ところが、『おし穂みみ』は、「子が生まれてしまい、行くことが出来ない。代わりにこの子(生まれたての子)を地上界に遣わせましょう」と答えました。
生まれた子の名前は『邇邇芸命:通称ニニギ』です。『ニニギ』は『おし穂みみ』と『高み結び』の娘『アキツシ姫』との間に生まれた子でした。
さて、こうして『ニニギ』は地上界へ降り立つことになります。この事件は「天(アマテラス)の、孫(ニニギ)が、(地上界に)降臨する」という意味で『天孫降臨』と呼ばれます。
『天孫降臨』にあたって、『アマテラス』は『ニニギ』に5尊の神をお供として付けました。
・岩戸隠れの時、「祝詞」を唱えた神
『天児屋根神(アメノこやね神)』
・同じく岩戸隠れの時、様々な「儀式」を行った『太玉命』
・「八咫鏡」を作った『いしこりどめ』
・「勾玉」を作った『玉祖命』
そして最後に、、、
・「神楽」を踊った『アメノうずめ』
の5尊の神が選ばれました。
この5尊の神を『五伴諸』と呼びます。
加えて“知恵の神”『オモイカネ』と岩戸隠れの時、岩戸が閉じないように“こじ開けた”怪力の神『手力男』、魔を祓う戸や門の神『天石門別神』も随伴させます。
さらに『八咫鏡』、『八尺瓊勾玉』、『草薙剣』の『三種の神器』をすべて持たせました。
そして、『アマテラス』はこう命じます。
アマテラス:「『八咫鏡』は私の魂(分身)として崇拝しなさい。次に『オモイカネ』は祭祀を行って国を治めなさい」
『日本神話はこんなお話です』へ
こうして(そうそうたるメンバーが集まり)『地上界』に向けて出発しました。
ところが道中の『辻(道と道が交わる場所、交差点)』に“天と地を照らす大男”が現れます。
「鼻は長く、目は鬼灯のように赤く光り、とにかく大きい」
その神にみな恐れをなしていると、『アメノうずめ』だけが物怖じもせず、肌を露わにして、近づいて語りかけました。
うずめ:「ここは我らが御子(ニニギ)が “天から降りる道” 、そこに立つ あなたは誰ですか?」
謎の神:「私は『国津神(=地上界の神)』で、名は『猿田彦』です。天津神の御子が降臨すると聞いて、道案内としてお迎えにあがりました。」
猿田彦:「あなたは、なぜ肌を露わにするのですか?」
うずめ:「誰だか分からぬ神(猿田彦)が怖かったからです。御子をどこまで案内してくれるのでしょう?」
猿田彦:「筑紫の日向の『高千穂』の峰までお連れしましょう。私は、そのまま伊勢の狭長田の『五十鈴』の川上へ向かいます。」
うずめ:「私を怖がらせ、露わにさせたのはあなたです。(責任をとって)私を伊勢まで送って(連れていって)ください。」
こうして、『猿田彦』は『ニニギ』とその一行を伴って日向の『高千穂』に降り立ちます。
降り立った『ニニギ』は「この地は韓半島に向かい合い、笠沙岬があり、朝陽が差し込み、夕日が照る、良い所だ」と言って、太い柱を立て、そびえるように大きい御宮を建てました。
『ニニギ』は『アメノうずめ』に命じます。
「(功労者である)『猿田彦』について伊勢まで行き、同じ氏『猿女君』を名乗り、仕えなさい。」 こうして女神は男性神の氏を名乗ることになりました。
その後『猿田彦』は、漁に出ているとき、貝に手を挟まれ、海底に沈み、泡となり、やがて泡が弾けて消えてしまいました。
お仕えから戻った(未亡人として戻った)『アメノうずめ』は権力移譲の仕事を着実にこなしていきます。
『アメノうずめ』は海に棲む大小さまざまな魚を集めて、『我が御子(ニニギ)に仕えるか?』と問いかけます。
魚たちは一様に『仕えます!』と答えますが、『海鼠』だけが、何も答えませんでした。
怒った『アメノうずめ』は『この口が答えない口か』といって小刀で口を切り裂いてしまいました。それ以降ナマコの口は裂けているように見えるのです。
凛のトリビアPOINT!
・『おし穂みみ』って何なんですかね?
地上が騒がしいと、とんぼ返りしてきて『アマテラス』に泣き付き、代わりの神々が頑張って話をつけてきたのに、その間に子供が出来たから行けなくなった。
「はぁ?」って思いませんか? しかも生まれたての子を遣わすって・・・
ダメ男過ぎて悲しくなります。・私が『日本神話の七不思議』と勝手に考えている謎のひとつが、この ”ダメ男” たちの描写なんです。以前にも書きましたが、日本神話は天皇家などの正当性や日本という国のアピールのために作られたお話ですよね。だとすれば、人格(神様なので神格?)も、人望も、業績も、何一つ曇りのない超カッコイイ神様にすればいいと思いませんか? あえて、この神様大丈夫なの?と思わせるようなエピソードが赤裸々に語られています。この後の話でもザクザク出てくるのですが、謎は深まるばかりです。まぁここが憎めないというか、日本神話の奥深いところなんですけどね。
・天孫降臨で『ニニギ』のお供をした『こやね神』は、のちの『中臣=藤原家』の始祖神です。
・天孫降臨で降り立った「高千穂」と「笠沙岬」の位置が違いすぎるんですよね・・・九州の東岸と西岸って、ザックリし過ぎですよね。
・『ふと玉』はのちの『忌部』の祖となります。ちなみに忌部は儀式を執り行う職業の名でもありました。
・『猿田彦』の登場です。最近ではコーヒーのブランド!?なんて思っている方も多いと思いますが、神話に出てくる “れっきとした” 神様ですからね!さてこの神の扱いが少々雑というか、何と言うか・・・
まず天と地を照らすということから『太陽』を表しているのは間違いありません。そして、道案内ということからも “旅の安全” を守る『道祖神』、“導きの神” などとも呼ばれている神です。
その容姿から『天狗』としても崇められています。そんな神の “死んだ理由” が「貝に手を挟まれ溺れた」としか書いていないんですよ! 太陽でもある神が死ぬにしては、実にあっさりというか、淡々と語られているんですよね。何か隠さなければならないような政治的な背景があったのかと疑ってしまいます。
・『アメノうずめ』は本当によく ”いろんなところ” を露わにします。(*ノωノ)イヤン
そして、勝手に脱いでおきながら “責任を取れ” とか言い出して・・・古代の “逆ナン” はかなり強引だったんですね 笑裏話ですが、「 ”露わ” になったのは、あなたのせいなので伊勢まで送って下さい。」と言ったのは、『猿田彦』の方だという説もあります。
(※本文に主語が無いために、この様な議論が起きているんです。そして、“連れて行く”ではなく“送っていく”と表現されているところが、確かにしっくりこないんですよね)
『うずめ』は本来、神に踊りを捧げる「巫女」だったと言われています。そして、ほかの誰も近づけなかった素性の知れない神(猿田彦)を召喚します。
そのため姿が露わになったのは猿田彦の方で、道案内が終わったら、『うずめ』に伊勢まで送って欲しい(巫女の霊力で伊勢の地に納めて欲しい)とお願いしたのではないか? とも言われているんですね。・『うずめ』が命じられた「仕える」は「妻となって支える」という意味ですね。つまり『猿田彦』と『うずめ』は結婚し夫婦となります。
そして猿田彦が死んだということで『未亡人』となってしまうんですね。・女性神が男性神の『氏』を名乗ったことで、その後「夫婦同姓」の原型になったとされています。
・『うずめ』が『猿田彦』を失って、「あの人が死んだ海が嫌い、そこに棲む魚も嫌い、喋らないナマコはもっと嫌い!」って思ったかどうかはわかりませんが、まるで人が変わったかのような振る舞いですよね。
さらに、ナマコが返事をしなかったのは、ナマコには口が無くて、話したくても話せなかったという “オチ” までついてきます。
また、実際のナマコの口は裂けてはいないので、別の生物ではないかとも言われています。
(本文)
『天孫降臨』その後の話・・・
ある日、『ニニギ』は『笠沙岬』で美しい女神と出逢います。
ニニギ:「あなたは誰の娘でしょうか?」
美しい女神:「私は『大山津見神』の娘で『木花佐久夜毘売:通称(咲くや姫)』です」
ニニギ:「あなたと結婚したいのですが、いかがですか?」
咲くや:「お答えできません。父に聞いて下さい」
そうして『ニニギ』は『咲くや姫』の父である『大山津見神』を訪ねます。話を聞いた『大山津見神』は大喜びで、たくさんの献上品に加え、『咲くや姫』の姉である『石長比売(イワナガ姫)』までもを嫁がせました。
ところが、『イワナガ姫』の容姿が妹と正反対であったため、『ニニギ』は姉を『おおやまずみ』のもとに帰してしまいました。
ところが、『大山津見神』はこう言います。
「私はあなたに『誓約:ここでは “まじない” 』をかけていました。『イワナガ姫』が仕えればあなたの命は石のように長く硬くあり続けるでしょう。そして『咲くや姫』が仕えれば、花が咲くように繁栄するでしょう。そして姉妹の女神を差し出したのは、花のような繁栄が石のようにいつまでも続く事を願ってのことでした。」
「しかし、このような恥をかかされたのであれば、あなたの命は “花のように儚いもの” になるでしょう。」と
それ以来、『ニニギ』の子孫(天皇家)の寿命は極端に短くなってしまいました。
しばらくして、『咲くや姫』が身籠りました。そして、(自分の身分を気にして)天津神の子を生んでも良いのかと尋ねました。
ところが、『ニニギ』は「たった1夜の交わりで、子が出来るわけがない。その子は ”国津神の子” であろう」と疑いをかけました。
さすがに、その言葉を聞いて『咲くや姫』は怒り、父と同じように誓約をします。
「あなた(二ニギ)との子であれば、無事に神が生まれるでしょう。もし国津神の子であれば、無事には生まれないでしょう」
そう言い放つと、戸の無い宮殿をつくり、土で塗り塞いで篭ってしまいました。
やがて出産の時を迎えると、今度は宮殿に火を放ちました。
炎が燃え盛る中、生まれたのが『火照命』『火須勢理命』『火遠理命』の3神でした。
無事に神が生まれたことで、『咲くや姫』の疑いは晴れました。
凛のトリビアPOINT!
・またまた『大山津見神』の登場です。以前も説明しましたが、『おおやまずみ』は(=大山”住み”)で、山を象徴する神でしたよね。娘や孫を次々に嫁がせて力をつけていったのでしょう。当時の有力な豪族がこういった政略結婚を繰り返していたという歴史的な背景が神話にも反映されたのでしょうか?
以前は『スサノオ』に、孫にあたる『櫛名田比売』と、娘にあたる『神大市比売』という女神を嫁がせました。また「スサノオ」と「櫛名田比売」との間に生まれた『やしまジヌミ』にも、自分の娘『木花知流比売(この花散る姫)』を嫁がせていましたよね。
まぁキッカケは『オロチ』に食べられそうになっていた『櫛名田比売』を助けるところから始まっているので、最初の最初から『大山津見神』の策略とは思えません。
むしろ、この一件で味をしめたといった感じではないでしょうか。そして今回も、天孫として降臨してきた『二ニギ』に、いち早く取り入ります。(すみません、ここからはかなり個人的な妄想♡です) 岬で偶然を装いつつ容姿端麗な「木花佐久夜毘売」との出逢いを演出した。そして「言い寄られても、その場で返事をせずに、必ず私のもとに来るように仕向けるのだぞ!」なんて事前に言い含めていたんじゃないでしょうか? だから『咲くや姫』は求婚されたとき「父に聞いてほしい」と言ったんでしょ!|д゚)ソウナノ!?
思惑通りに事が進み、嫁のもらい手に困っていた姉の『石長姫』も抱き合わせで嫁がせてしまえ!みたいな計算があった!そして、万が一に備え、誓約で呪いをかけておくという、”サスペンス” ばりの ”ゲスい” 策略があったんじゃないか!? (; ・`д・´)ドウナノ!?
かなり興奮してしましたが、『大山津見神』のしたたかさには恐れ入りますね。そして娘に『この花咲くや姫』と『この花散る姫』という名をつけるあたりが普通じゃないと思いませんか?
私は ”咲く” 方がいいなぁ・・・・それにしても、まさかの「俺の子じゃない!」発言ですよ!呆れますよホント。何だと思っているんですかねー、この時代、これが普通だとしても父親には政略結婚を強いられ、旦那には他に奥さんがいっぱいいてとか、、、女は道具じゃないっちゅーの(>_<) そりゃ小屋に火をつけて生むくらい怒りますって!
(本文)
『海幸彦』と『山幸彦』
『火照命』は海で漁を、『火遠理命』は山で猟を行なっていたので、それぞれ『海幸彦』、『山幸彦』と呼ばれました。
弟の『山幸彦』は、兄の『海幸彦』に、お互いの道具を交換してみたいとせがみます。何度もせがまれ、ようやく兄は了解しました。こうして『山幸彦』の『弓矢』を『海幸彦』へ、『海幸彦』の『釣り針』を『山幸彦』へそれぞれ交換しました。
喜んだ弟は、早速、海で漁をしますが、まったくの不漁で魚一匹取れませんでした。挙句、兄の大事な釣り針を海で失くしてしまいます。
海幸彦:「私は海で、お前は山で獲物をとった方がうまく行く。だから交換した道具を元に戻そう。」
山幸彦:「海で漁をしたのですが、一匹も取れず、“釣り針”も失くしてしまいました。」
当然兄の『海幸彦』は激しく怒り、強く「返せ」と迫ります。
弟は自分の剣を砕いて代わりの釣り針を500個作り償ったのですが、受け取ってはくれません。
1000個作ってみても結果は同じでした。『海幸彦』は「もとの釣り針でないとダメだ!」と言い張ります。
『1400年前に作られたとされる鉄製釣り針』イメージ(宗像市:大穂町原遺跡)
困り果てて『山幸彦』が浜辺で泣いていると『塩椎神(塩つち神)』という神が現れて、泣いている理由を尋ねました。
そこで『山幸彦』が事情を説明すると、『塩つち神』は「私が力になりましょう」と言い出しました。
『塩つち神』は、すぐに竹で編んだ船を作り、『山幸彦』を載せて押し流しました。
「この潮の流れに乗れば、魚の鱗のように美しい宮殿に辿り着きます。そこは『海神(ワタツミ神)』の宮殿です。門まで行ったら、井戸の傍らに “ゆずの木” があるので、その上に座って待てば、『ワタツミ神』の娘が手助けしてくれるでしょう。」
『山幸彦』は教えられた通りに、宮殿に辿り着き、井戸の傍らに立つ、ゆず香る木に登って待ちました。
しばらくして、宮殿の中から侍女が現れます。侍女は宝石のように光る器に水を汲みました。
すると、器に汲んだ水鏡に『山幸彦』が映りこみます。侍女が見上げると、水の反射を受けて輝く(麗しい)男性がいるではありませんか。その光景は何とも不思議でした。
『山幸彦』は水が欲しいというと、侍女は水を汲んだ器を差し出しました。
器を受けとった『山幸彦』でしたが、水は飲まず、身に付けていた首飾りの紐を解き、その玉を口に含めてから器の中に入れて返しました。
器に入ってしまった玉は、どうやっても侍女には取り除くことが出来ず、困って『ワタツミ神』の娘『豊玉毘売』にそのまま見せて報告しました。
「そとの木に、麗しい神が現れました。その姿は、我が “王” より美しいのです。そして水を欲しがっていたので~うんぬんカンヌン!」
そこで、『豊玉姫』は外に出て、ゆずに木にいる『山幸彦』を見るなり、ひと目惚れをしてしまいました。
『ワタツミ神』に報告すると、『天津神』の皇子が来たことに大変喜び、豪勢にもてなし、『豊玉姫』と結婚をさせました。
そんなもてなしも続き、とうとう3年もの間、『山幸彦』はその国で暮らしました。
凛のトリビアPOINT!
・なぜ器に、口に含んだ首飾りの玉を入れたのか?何か意味はあるんでしょうけど、ちょっと汚いし、失礼ですよね。
・『豊玉姫』と侍女の「外にイケメンがいる~っ!」「えっ、うそうそ!?」みたいなガールズトークがほっこりします(*‘∀‘) 自分が仕えている「王」より ”カッコイイよ~” なんて侍女が思わず口にしてしまう ”くだり” も大好きです。
・この章で初めて『王』という言葉が出てきます。きっと、海の世界だけに、地上の国とは違う文化があるんだよってことを示したかったんでしょうか。イメージとしては、リトルマーメイドのトリトン王みたいな感じでしょうか!
・乗って行ったのは亀ではなく、竹で編んだ船でしたが、この話、まるで『浦島太郎』ですよね。乙姫の御馳走に、鯛やヒラメの舞い踊り♪そしてあまりの居心地の良さに3年も居着いてしまうんですから、おとぎ話そのままですよね。と言うことは、この後『山幸彦』は玉手箱を開けておじいさんに!?
【神々の足あと】
一説によると、「山幸彦」が向かった「竜宮城」は「対馬」の「豊玉町」にある『和多津美神社』ではないかと言われています。水面から鳥居が配されています。「山幸彦」と「豊玉姫」が出合ったとされる井戸『玉の井』も ”ご神体” として祀られています。
※綿津見神社・和多津見神社と呼ばれる神社は全国に数多く存在します。
(本文)
『竜宮城』から戻る
ある日『山幸彦』はハッと思い出します。兄『海幸彦』の釣り針を失くし、それを探しにここまで来たのだということを。そして我に返り、深いため息をつきました。
その溜息を見て妻の『豊玉姫』は心配になり父である『ワタツミ神』に相談します。
「3年も暮らしましたが、今まで溜息などついたことはありませんでした。なのに今夜は大きなため息をついておりました。何か訳でもあるのでしょうか?」
そんな娘を心配して『ワタツミ神』は『山幸彦』に問いかけます。
「娘がひどく心配している。今夜は大きなため息をついていたと聞いた、何か理由でもあるのか?そもそも、お前がこの国にやってきた理由は何なのだ?」と。
『山幸彦』は釣り針を失くし、兄に責められ、探している経緯を説明しました。
『ワタツミ神』は海に棲む魚を集め、『海幸彦』の『釣り針』を知らないかと尋ねました。
魚たちは、「赤鯛の喉に小骨が刺さって、食べることが出来ないと困っておりました。」と答えます。
赤鯛の喉元を調べてみると、確かに『海幸彦』の『釣り針』が刺さっていました。
『釣り針』を取り外して、綺麗に清めて『山幸彦』に差し出すとき、『ワタツミ神』はそっと『山幸彦』に教えます。
「この釣り針を兄に返す時、後ろ手に持って “まじない” の言葉を唱えなさい。その言葉は・・・・云々・・・だ。」
そして、こうも付け加えます「兄が高い位置に稲田を作ったならば、お前は低い位置に稲田を作りなさい。兄が低い場所に田を作るのならば、お前は高い場所に田を作りなさい。私は水を操れるので、お前の兄は不作で困窮することになるであろう。」
「もしも、兄が恨んで攻めてきたならば、お前はこの『塩満珠』に念じて溺れさせなさい。そして助けを求めてきたならば、『塩乾珠』に念じて助けなさい。そうやってとことん苦しめるのだ。」そう言って、2つの珠を手渡しました。
『ワタツミ神』は『和邇魚:サメ』たちを集めて問いかけます。
「今から天津神の皇子(山幸彦)が “上の国” に戻ることになった。最も早く送り届けることが出来のは誰だ?」
皆が言い争っている中で、『一尋和邇』が名乗り出て「私は1日で送って帰ってこれます」と言いました。
「ならば、『一尋和邇』に任せよう。だが、海中を渡るときに怖がらせないようにするのだぞ!」
そうして、『山幸彦』を『一尋和邇』に乗せて送り出しました。約束通り、一尋和邇は1日で帰ってきました。
『山幸彦』は送ってくれた『一尋和邇』が帰っていくとき、持っていた『サイ』と呼ばれる紐の小刀を『一尋和邇』の首に掛けて帰します。それ以来、一尋和邇は『サイ持ち神』と呼ばれます。
『山幸彦』は『ワタツミ神』に教えられた通りに呪文を唱え、釣り針を『海幸彦』に返します。そして、稲田を兄とは異なる場所に作ります。すると、みるみるうちに兄の田は枯れ、困窮し、心は荒み、『山幸彦』のもとへ攻め込んできました。
そこで『塩満珠』に念じて洪水を起し、兄を溺れさせました。『海幸彦』が助けを求めてきたので、今度は『塩乾珠』に念じて洪水を治めました。
こうして、苦しんだ『海幸彦』はとうとう観念して、「今後は『山幸彦』の守護神となり、昼も夜も仕えましょう。」と誓いました。
凛のトリビアPOINT!
・古代では、道具は神の力を持っていて、とても大切に扱われていました。もちろん糧である魚を捕る『釣り針』も大変貴重なものだったと思われます。それを亡くしたとあれば兄の『海幸彦』が怒るのは当然っちゃ当然ですよね。
・にしても、失敗したのは弟の『山幸彦』のほうなのに、兄は呪いまでかけられ、こてんぱにやられてしまうなんて、なんだか気の毒としか言いようがありません(=_=)
・さて、兄に釣り針を返すときに唱えた呪いの言葉。まるでラピュタにでてくる ”バルス” みたいな滅びの呪文ですよね。実は「此鉤、淤煩鉤、須須鉤、貧鉤、宇流鉤」いうものでした。まぁ大体意味はそのままで『鉤=釣り針』で、これは頭のおかしくなる釣り針、これは貧しくなる釣り針・・・と持つ人に降りかかる災いを言葉に込めているんですね。Σ(・ω・ノ)ノ!コワ
『言霊』って言います、これ。念じて発した言葉には、力が宿るんですよ。
海の国凄すぎ、霊力強すぎ・・・
【神々の足あと】
『山幸彦』が海の国から戻った際に、上がったとされる場所に『青島神社』があり、「山幸彦」と「豊玉姫」を祀っています。海と陸を結ぶ雰囲気が、いかにも!って感じです。
(本文)続き・・・
妻の『豊玉姫』が ”海の国” から上がってきて言いました。
豊玉姫:「私は、今あなたの子を身籠っています。でも、海の中で『天津神』の子を生むものではありません。そのため、ここまで参りました。」
そう言うと、すぐに海辺の波打ち際に ”海鵜の羽” で産殿を作りました。産殿が完成するかしないかという時に、陣痛が来て、『豊玉姫』は産殿へ駆け込みます。
その時、『豊玉姫』は『山幸彦』に強くお願いをしました。
「今から、あなたの子を生みます。その最中は、とても見せられない姿になってしまいます。なので、決して産殿の中を覗き見てはいけません。」と。
一旦は約束をするものの、『山幸彦』は、妻の言葉を不思議に思い、とうとう好奇心に負け、産殿の中を覗き見てしまいます。すると、産殿の中では、とても大きな『鮫』が苦しそうにのたうち回っていました。
『豊玉姫』の正体は巨大な鮫の化身だったのです。
その姿を見た『山幸彦』は恐ろしくなり、逃げ出してしまいます。
姿を見られたことを知った『豊玉姫』は恥ずかしさのあまり、生まれた子を置いて、海の世界に帰ってしまいました。海と陸をつなぐ道も堅く塞いでしまい、以後、行き来が出来ず、会うことも出来なくなってしまいました。
こうして、生まれてきた神は、『波限建鵜葺草葺不合命:通称(会えずのみこ)』と呼ばれます。
強い呪術を操る海の一族でしたが、覗き見られた恨みよりも『豊玉姫』が『山幸彦』を慕う気持ちの方が強く、妹の『玉依毘売(たまより姫)』を『会えずのみこ』の養育係として ”上の国” へ遣わせました。
やがて、時は流れ、『会えずのみこ』は『たまより姫』を妻にしました。そして4人の子が生まれました。
最初に『五瀬命』
次に『稲氷命』
次に『御毛沼命』
そして最後に、『神倭伊波礼毘古命:通称イワレビコ』です。
3男の『御毛沼命』は海を越えて『常世の国』へ渡ります。次男の『稲氷命』は母『たまより姫』の生まれ故郷である ”海原” に行きました。
さて、お話はここから『イワレビコ』が東を目指す『神武東征』へと続きます。
凛のトリビアPOINT!
・またまたこのパターンです。
見るなと言われると見たくなる( *´艸`)
『イザナミ』が黄泉の国の神にお伺いを立てに行った時も『見るな』と言われていましたよね。そして今回も・・・ 鶴の恩返しでもそうですが、何で我慢出来ないんでしょうか?・もともとこの世界の神々は何かの化身なわけですよね? 海だったり山だったり。それがなぜ鮫だけ恐れられるんでしょうか、差別を感じます。それにしても出産中の妻を置いて逃げる夫、生まれたての子を置いて帰る妻・・・残念です。
・ところで『会えずのみこ』を養育するために来た妹『玉依毘売』も鮫じゃん!って思いませんでしたか? まぁ、鮫なんですけどね。
・『常世』というのは、以前、『大国主』と共に国造りをしていた『スクナヒコ』も道半ばで帰っていった場所ですよね。
『日本神話』において、この『常世』という扱いは非常にモヤ~っとしているんですよね。常世とは「永遠に変わらない神域」「死後の世界(黄泉の国を含む)」「海の遥か彼方にあるとされる不老不死の理想郷」みたいな意味があるんです。
“じゃあ、どこなの?”ってなりますよね。
そこに行ったということは「=亡くなった、消息を絶った」という使われ方だと思っています。詳細は、この後の『神武東征』で書かせていただきます。
(本文)
『神武東征』
『伊波礼毘古命(イワレビコ)』と兄の『五瀬命(イツセのみこ)』は、「どうすれば、穏やかな政治を行うことが出来るだろうか?」と、この先の “国造り” について話し合います。
天孫が降臨して随分と長い時間が経ったのに、世の中は未だ纏まらず、遥か遠くの地では自分たちの一族、つまり『天津神』の恩恵を受けていない(力が及んでいない)と考えていたのです。
実際に、遥か遠い地域では、「君」の治める小国があり、「長」が治める村があり、お互いに争い合っていました。
そこで、『イワレビコ』は「ここより遥か東に『美し国』(良い場所)があり、そこは青い山々に囲まれていて、遠い昔『天磐船』に乗って天から降りてきた者が住んでいると聞いた。この日向の地を出て、東に行こう」と言い出しました。
『イワレビコ』の一行は船に乗り、まずは筑紫の国を目指すことにしました。
道中、『豊国(大分)』の『宇沙』に着くと、土着の神『うさつ彦』と『うさつ姫』は歓迎し、大いに “もてなし” ました。それから筑紫の『岡田宮』に到着し1年を過ごします。
そこから『阿岐国(安芸=広島)』で7年を過ごします。またそこから『吉備国:岡山』の『高嶋宮』で8年を過ごします。
再び、東の国を目指して船の旅が始まります。
航海の途中、亀の甲羅に乗って釣りをする神に出会いました。その神は『国津神』であると名乗り、『イワレビコ』に仕え、道案内をすることになりました。『イワレビコ』はその神に『棹根津日子(竿ねつ彦)』という名を与えました。『竿ねつ彦』は、『倭国造』の始祖となります。
『浪速の渡』を通り、『白肩津』まで来て停泊していると、『登美』の『那賀須泥毘古』が兵を率いて襲い掛かってきましたが、船に積んでいた盾を持って応戦しました。
その時、空から金色の鳶が飛んで来て、『イワレビコ』の弓にとまると、眩い光を放ち、『那賀須泥毘古』の兵たちは目がくらみ、撃退することができました。この鳶は『金鵄』と呼ばれます。
戦いの最中、兄の『イツセのみこ』は敵の矢を手に受けて『痛矢串』(矢が刺さった傷)を負ってしまします。そして、「自分は日の御子なのに太陽に向かって戦ってしまった。今後は太陽を背に戦いに臨もう」と反省します。
言葉通り南に回り、『血沼池』で流れた地を洗い、再び反撃に打って出ます。しかし『イツセのみこ』の傷は思ったより深く、雄叫びを上げて善戦しましたが、遂に紀伊国の『男乃水門』で戦死してしまいます。『イツセのみこ』は紀伊国の『竈山』に葬られました。
『日本神話はこんなお話です』へ
『イツセのみこ』を失いつつも『イワレビコ』の一行は『熊野村』までたどり着きます。熊野の土着神の呪術にかかり、一行は病んでしまいました。同じ頃、熊野に住んでいた『熊野高倉下』不思議な夢をみました。天上界の神々が倒れた『イワレビコ』について、どうすべきかを話し合っている夢でした。
夢の中で『アマテラス』という女神が、『ミカズチ神』という武の神に対し、地上界に降りて『イワレビコ』を助けるように命じています。そう言われた『ミカズチ神』は「私が降りずとも、(私が)地上界を併合した時に振るった『剣』を地上へ降ろしましょう。そうすれば、平らかに治まりましょう」と進言していました。
不意に『ミカズチ神』は夢を見ているはずの『たかくらじ』に語りかけます。「この剣は『布都御魂』と言う、これをお前の蔵裏に降ろすので、それを天津神の御子(イワレビコ)に献上するのだ」と。
翌朝『たかくらじ』が目覚めると、天から落ちてきたであろう『剣』が蔵の床に刺さっていました。『たかくらじ』は夢で『ミカズチ神』に言われた通りに、剣を抜き取って、『イワレビコ』に献上しました。『イワレビコ』が剣を振るうと、病は去り、一行は再び東へ向け進撃します。
この『布都御魂』の剣は『石上神宮:奈良県天理市』に祀られています。
熊野村から東に向かうには、非常に険しい山々を抜けなければなりませんでした。『イワレビコ』の一行はまったく進むことができず困っていると、今度は『イワレビコ』の夢に『アマテラス』が現れます。「今から私が『八咫烏』を遣わすので、その案内に従えば、山を超えることができるだろう。」と夢の中で語りかけました。
夢での「お告げ」の通りに天から大きな烏が飛来しました。この様子を見て『イワレビコ』は「夢でのお告げの通りに八咫烏が現れた、私はやはり天に守られているのだろう」と言い、八咫烏の案内に従い、無事に熊野の山を越えることが出来ました。
一行は吉野を抜け『宇陀』にたどり着きます。この地のは土着の『兄宇迦斯』『弟宇迦斯』という神がいます。『イワレビコ』は使者を遣わして、服従すか戦うかを確認させましたが、『兄ウカシ』は従う振りをして、歓迎の御殿を建て、密かに罠を仕掛けてイワレビコを誘い込みます。
ところが『イワレビコ』が御殿に迎え入れられようとしていた時に、『弟ウカシ』が罠であることを密告します。
『イワレビコ』の家来は『兄ウカシ』に矢や矛を向け、「まずはあなたが御殿に入り、御子に仕える姿勢を示せ」と迫ります。追い立てられた『兄ウカシ』が御殿に入ると自ら仕掛けた罠で命を落としてしまいました。
『忍坂:奈良県桜井市』あたりに差し掛かると、『土雲』という屈強な集団が立ちふさがりました。その長である『八十健』を説いて宴席を設け、兵の一人ひとりにに料理人を付け御馳走を振舞いました。『イワレビコ』の用意した料理人はそれぞれに刀を忍ばせて、歌が詠まれたら一斉に斬りかかるように命令を受けた家来たちでした。宴もいよいよ盛り上がってきたころ、誰ともなく歌が詠まれます。歌が終わるやいなや、料理人に扮した家来たちが一斉に斬りかかり『ツチグモ』を倒してしまいました。
そして、とうとう長い間目指してきた東の地『美し国』に、たどり着くことができました。そこには、その昔『天磐船』に乗って天から降りてきた者と言われる『邇芸速日命(ニギハヤヒ命)』がいました。『ニギハヤヒ』も天から降りてきた『天津神』ではありましたが、『アマテラス』の加護を受けた者(アマテラスの直系の子孫)であると知り、天津神の証である『宝』を『イワレビコ』に献上して仕えることになりました。
『ニギハヤヒ命』は物部氏の始祖となります。
『イワレビコ』は、その後 ”荒ぶる神” を平定し、『畝火』に天に届く程高い宮殿を立て、1月1日の『初代天皇』として帝位につきました。その後、子々孫々天下を治めることとなりました。
『美し国』は青い山々に囲まれた国『山門(大和)国』、宮殿は『橿原宮=橿原神宮』と呼ばれます。
こうして、九州の日向を出て、長い年月を掛け、数々の戦いを制して、大和の国で『初代天皇』として即位したのが『神倭伊波礼毘古命』こと『神武天皇』です
そして日本神話は『神代』から『天皇家』を中心とした「現人神」の時代へと進んでいきます。
凛のトリビアPOINT!
【神々の足あと】
以前にも書きましたが、イワレビコが元々いた「日向」という地名は、現在の地区感覚とは微妙に違っています。ただし、東に向かう途中で大分がある点と、ここまで高千穂を中心とした位置設定でしたので、やはり『宮崎県』あたりだと思います。『熊本』という意見もあり、こちらもなかなか有力な説になっていますね。・東にある『美し国』は、奈良の大和地方ですね。今後、大和朝天皇の時代では、ここが日本の中心となっていきます。
・『神武天皇』が九州から大和を目指し、東進し平定していった軌跡を『神武東征』と言います。
・『神武天皇』という名は『おくり名』と呼ばれ、死後、天皇の功績を称え与えられる名前です。ですので、正確には東征をはじめ、統治に関しても『神武天皇』として行ったわけではありませんし、もちろん、自らを『神武天皇』と名乗ることもありませんでした。
ちなみに現在、在位中の天皇のことを総称して『今上天皇』と呼びます。・道中で “もてなしを受けた” “○○年暮らした” というのは、旅行感覚ではなく、国(権力者)を掌握するための争いや政治的な活動をしていたということです。つまり広島・岡山の中国地方を従わせるのに15年掛かったということを表現しています。
【神々の足あと】
『豊国』の『宇沙』は現在の大分県宇佐市です。また、その後1年を過ごしたとされる『筑紫』は現在の福岡県の「筑紫野市・春日市・大野城市・太宰府市・那珂川町」あたりの地域を指しています。その筑紫国「岡田宮」には現在「岡田神社」が鎮座しています。・さてさて、この『神武東征』あたりから神話本文中にも「人」という表現がちらほら出てきます。ただ、絶対的な『神』に対しての『人間』という、ハッキリとした区別ではなく、神であり、人であるというボヤ~としたイメージです。例えば『竿ねつ彦』は「亀の甲に乗りて、釣りしつつ来る人」と書かれています。でも自ら『国津神』と自己紹介しているので、どちらでもあるんですよね。絶対的な「人間」が出来るのは、もう少しあとのようです。
【神々の足あと】
・『浪速の渡』=大阪湾あたり。
・『白肩津』=東大阪市日下(昔はもっと海に近く、船着き場があった)
・『登美』=奈良市富雄町 =『生駒山』のことを指しています。・『ナガスネ彦』との闘いの際、あえて、物語に『盾』と書いたのには、何か意味があるのでしょうか。剣は以前からありましたが、確かに防具としての「盾」は初登場です。この頃から使われ始めたと考えるのは、ちょっと無理がありますよね。その原型というか、簡易的なものはずっと前から存在していたと思いますから・・・呪術的な、宗教的な意味があったのではないかと考えています。
【神々の足あと】
紀伊国は現在の「和歌山県」あたりです。『イツセのみこ』が埋葬された『竈山』には現在『竈山神社』が鎮座しています。・『八咫烏』はサッカー日本代表のマークにもなっていて、ユニフォームなどで見たこと、聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
『八咫烏』は ”3本足” というイメージを持たれている人も多いと思いますが、実は日本神話にはそんな記述は一切ないんですよね。3本足というイメージはもう少し後の平安中期になってからですね。
『日本神話』では、このカラスに導かれ和歌山から奈良に抜ける険しい山を抜けただけではなく、橿原に至るまでの道案内をしました。いうなれば、神武東征の立役者でも重要な位置づけでもあるんです。
【神々の足あと】
この『八咫烏大神』は『熊野本宮大社』にお祀りされています。熊野本宮大社の主祭神は『スサノオ』なんですが、それをはるかに凌ぐ『八咫烏』推しです。すべてカラス尽くし、熊野という地域を挙げてのカラスフィーバーと言っても過言ではありません( ´艸`)
【神々の足あと】
この他にも、奈良県宇陀市に『八咫烏神社』があります。ここは神話にも描かれている『宇陀』での『兄ウカシ』と『弟ウカシ』との一件でも八咫烏は活躍していて、それにちなんだ神社なんです。・『邇芸速日命』は『天磐船』という『空飛ぶ乗り物(一説には古代人が見たUFOとも 笑』に乗って天から降りてきたことから、空の神様、航空安全の御利益などとも言われています。
・『日本書記』には「饒速日命、天磐船に乗りて大虚を翔行きて、この郷をみて降りたまふに 至る。故に因りて、なづけて「虚空見日本国」といふ」と記されています。
つまり『ニギハヤヒ』が空飛ぶ船に乗って天から降りてきた時に、地上の国を見て『空に見つ大和』と言ったとされていて、”空から見たらこの地にピンときたよ!だからここに降りて国を造ろうと考えた” という逸話があるんです。
【神々の足あと】
大阪府交野市にある『磐船神社』には、「ニギハヤヒ」が乗って天から降りて来たとされる『天磐船』という巨岩が祀られています。船の ”先っちょ” にも似た「反った形」がいかにも飛びそうなんです。・スタジオジブリ(宮崎駿監督)の『千と千尋の神隠し』では、『ハク』というキャラクターの正体は(本当の名前は)『饒速水小白主いう川の神様でした。両者に直接の関連はなさそうですが、『ニギハヤヒ命』をイメージした名前であるのは間違いなさそうですよね。
・この『神武東征』では ”仲間になるフリ” 作戦を、土着の神もイワレビコもけっこう使いますよね。『兄ウカシ』や『ツチグモ』一族との闘いです。でも物語の主人公である『イワレビコ』がそういう卑怯な手を使うと、なんか残念な感じが・・・します。私は勧善懲悪が好きなので 笑
・ところで、『イワレビコ』は元々4人兄弟の末っ子でしたよね。
3男の『御毛沼命』は海を越えて『常世の国』へ渡り、次男の『稲氷命』は母『玉依姫』の生まれ故郷である ”海原” に行ったと書かれています。この記述の本当の意味を、私はこんな風に考えています。
実は、東征には元々4兄弟全員で参加していたのではないでしょうか。船を使った移動や闘いの中で、3男は戦死したか、行方不明になり、『常世:死者の国』へ行った。次男は海戦で戦死したので、美しく母の故郷である「海の国」に戻ったと表現したのではないか? ・・・と。ただし、そうだとしたら合点のいかない部分もあります。同じように東征に赴き戦死した長男の『イツセのみこ』だけが、戦死する様子が語られていて、他の兄弟が違う国に行ったというような表現になっているんでしょうね。何か政治的な、大人の事情があったのでしょうか。
凛のホッと♡一息コラム 『日本神話の七不思議』
こんにちは、凛です。
突然ですが、今、日本は超高齢化社会なんて呼ばれていますよね。おじいちゃんも、おばあちゃんも、元気で長生き!いいじゃないですか♪ 医学の進歩で、平均寿命がどんどん延びて、いまや世界第一位らしいですよ。
ところで『日本神話』でも、この “寿命” については、本当に多く語られているんですよね。
と、いうことで、ここが今回紹介するミステリー、ずばり!凛の『日本神話 七不思議』~寿命編~です!!
これまでも、日本神話を楽しんで頂くために、『謎だぁーっ』と感じたものを私的『日本神話の七不思議』として紹介してきました。
例えば、①『神は生まれるの?それとも産まれるの?』や②『古代人は生命の謎を知ってたの?』とか③『自虐!そのカミングアウト必要???』 などなどですね。
そして、今回コラムで紹介する『七不思議』は、④寿命編。寿命については日本神話の中でも、かなり取り上げられているんですが、「なぜ、こんなにも矛盾した記載が多いの?」って思っているんですよ。
そもそも日本神話の中に、(殺されるとかは別として)『寿命』という概念が出来たのは、『イザナギ・イザナミ』による『黄泉比良坂』での夫婦喧嘩の最中に「毎日1000殺す」、「じゃあ毎日1500誕生させる!」と言い争ったせいでしたよね。
この寿命という “呪い” が及ぶのは誰なのか?
『日本書記』では『汝所治国民』つまり、「あなたが治める国の民を」となっています。
一方で『古事記』では『汝の国の人草』と書かれていて、“人草” とは同じく “人々” という意味ですから、対象は国民なのでしょうか?
そうすると、こんな疑問が生じます。この時点ではまだ『人間』という存在(記述)はなく、火の神だとか、木の神だとか、いわゆる『八百万神』がいて、“それ” をまとめているのが『イザナギ』だったんですよね。
結論として、寿命という “呪い” を背負わされたのは、イザナギを含めた全員なのか、配下の神々だけなのか? それとも神格のない、一般的な鳥や魚や獣や植物などの動植物を指すのか? ここが最初のミステリーなんです。
次に、イザナギの遠い子孫である『ニニギ』の頃の話です。
『ニニギ』が好みに合わない『イワナガ姫』を『ワタツミ神』に返した結果、怒りを買い『誓約』=まじない(呪術)によって「是を以ちて、今に至るまで、天皇命等の御命長くまさざるなり」つまり、子孫までもが短命になったと書かれています。
「あぁ、寿命はあるものの、さすがに神(天皇家)の家系は普通より長生きだったんだなぁ。それが、ようやくここにきて『私たちみたいな人間レベル』の寿命になってきたのかぁ」と思ったんです。「短命=普通の人間並み)って。
ところがですよ!『ニニギ』の子、『火遠理命=山幸彦』は裏切ってしまった妻『豊玉姫』を思い「高千穂の宮に伍佰捌拾歳坐しき」つまり、580歳まで生きたと書かれているんです!
『えっ!?』って思いませんか? 寿命があって、短命になったって、言ってましたよね!? 忘れちゃった?それとも短くなって580年ってこと!? って軽くパニックになるわけです。
この緩~い感じが、この物語のいいところなんですけどね。ではまた次の七不思議も、どうぞご期待くださーい(*‘∀‘)