山梨県はその昔、“甲斐の国”や“甲州”と呼ばれた地域で、富士山をはじめ、八ヶ岳、南アルプスなどの名だたる名峰と、笛吹川や富士川などの大河が流れるダイナミックな自然に囲まれた場所です。
そんな豊かな自然と併せて、もうひとつの山梨のシンボルとなるのは、何と言っても『武田信玄』ではないでしょうか!
疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如しで有名な『風林火山』の軍旗を背負い、“甲斐の虎”と恐れられ、動乱の戦国時代にその名を轟かせた武将『武田信玄』。
さて今回は、そんな『武田信玄 公』をお祀りした『武田神社』にお邪魔しましたよ。
JR中央本線の「甲府駅」から「武田通り」と呼ばれる大きな道路が、真っ直ぐ北へと延びています。
途中、国立「山梨大学」のキャンパスを抜け、駅から2キロほど進んだ、武田通りの突き当りに『武田神社』はあります。
武田通りの突き当り、武田神社の入り口に見える「一の鳥居」。
『武田神社』の社名石碑
ここはかつて武田家の館『躑躅ヶ先館(つつじがさきやかた)』だった場所です。
”館” とは言っても住居というよりは、甲州武田氏の本拠地であり、お城のような軍事的役割の方が大きかったと言われています。
ですから石垣や土塁、お堀などがぐるっと巡らされ、敵の進入を防ぐための遺構が至る所に見られます。(※後世になって武田神社を創建する際に、石垣などの大半は撤去されてしまったそうで、今は一部分が残っています。)
お堀に架かった朱色が鮮やかな『神橋(太鼓橋)』
美しい石段の上に「一の鳥居」
石垣も凄いです。この上に櫓が建っているのを見たら、さすがに戦意喪失ですね。
鳥居の前には立派な『狛犬(獅子)』がいます。
あの文豪、『太宰治』が愛でた桜がありました。
手水舎の様子です。
手水鉢が武田家の家紋のひし形ですよ。
お作法案内です。
手水舎の上には、四方に『奉納算額』と呼ばれる「算数問題」が掲げられていました。算数の問題を作って神社に奉納する習わしみたいです。一風変わった景観ですよね。ナンプレとかクロスワードパズルのような遊びの一種でしょうか・・・私は問題を最後まで読むこともできませんでした( *´艸`)
『絵馬所』たくさんの絵馬が奉納されています。
上杉謙信公との戦い、有名な『川中島合戦』を描いた絵馬や、風林火山と信玄公采配を描いた絵馬。戦国最強とまで言われた信玄公にあやかり、武田神社の御利益は『勝負ごとに勝つ』(必勝祈願)なんです。
武田神社は大正時代になって創建された比較的新しい神社です。
『拝殿』の様子です。早速参拝させていただきます。
賽銭箱には武田家の家紋『武田菱(たけだびし)』。
『命名書』を奉納する場所です。たくさんの新生児たちのお名前がありますね。そのままでは読めないのが現代っ子の特徴ですね、みんな健やかに育ってください( *´艸`)
大きな『さざれ石』がありました。夏の暑さで苔が枯れないように、ミストを発生して噴霧していました。
おかげで良い感じに苔むしていますね。
『武田二十四将』と書かれた大盃が奉納されています。かっこいい!
反対側には『風林火山』の大盃!
拝殿側面です。
たくさんの人の生活を支えた井戸です。
もちろん信玄公も日々お使いになっていたんでしょう。
見る者が恐れおののいたという武田家の軍旗、『風林火山』の『孫氏の旗』
↓『信玄公のかくし湯』入浴剤です。実際に近隣には信玄公の隠し湯と言われる甲州湯村の秘湯があったりします(葛飾北斎の浮世絵にも描かれるほど有名ですが・・・)
おみくじです。機械式。
こちらは『男女みくじ』
立ち姿の信玄公御朱印(書き置きのみ)
こちらは座姿の信玄公御朱印
参拝を終え、御朱印を頂戴しました(*’▽’)
境内はものすごく広いです。まぁお城跡ですからね。
↓甲陽舞能殿
名水『姫の井戸』と『武田水琴窟(すいぎんくつ)』
こちらが『姫の井戸』信玄公の子供が産まれた際の産湯にも使われたとか
『躑躅ヶ先館(つつじがさきやかた)』の案内板です。
ずっと奥まで続いています。
ちょっとした丘(土塁)の上に登れるのですが、そこからは巡らされたお堀が見渡せます。
裏門となる場所には縄鳥居とお地蔵様が。
入口には桔梗信玄餅をはじめ様々なお土産を扱っているお店があります。
信玄キューピー!!思わず買いましたよ。
武田家の『赤備え』をモチーフにしたハサミ!カッコイイ。
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日本の神話について分かりやすく解説しています。
凛の『教えて♡神様、仏様!トリビア♪』を見る。
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