『青岸渡寺(せいがんとじ)』の境内に隣接して、鎮座しているのが熊野三山のひとつ『熊野那智大社』です。
もともとは青岸渡寺と一緒に、霊場として信仰されていました。創建は仁徳天皇の御代と伝わっています。
さらに『熊野三山』の他の2社とは違って、“那智の滝”そのものを信仰する自然崇拝から興った祈りの場だったそうです。那智の滝を見下ろす山の上に、後の時代になって社殿を建てたということですね。
朱色の神門を抜けると、すぐに社務所と大きなご神木の『樟(くすのき)』が現れます。
目の前に鳥居が置かれたこの老樹は、なんと中が空洞になっていて、人が木の中を通り抜けられるんです。つまり、この樹は樹でもあり、祠(社)でもあるんです。
こちらは仏教と結びついていた名残りなのですが、『護摩木』に“願い”を書いて、樹の中(胎内)を通り抜けるという『樟霊社胎内くぐり』ができる、大変ありがたくも珍しい風習があるんです。
根元の空洞入口から樟霊社に入り、階段を使って2階?の穴から出ます。そして願いを書いた護摩木奉納所に奉納します。
境内は全て鮮やかな朱色で統一されていて神々しい雰囲気です。
拝殿です。さっそくお参りにまいりましょう。
拝殿の奥手には板垣が張られていて分かりにくいのですが、御祭神を祀る6つの社殿(第1殿~第6殿)が立ち並んでいます。
拝殿脇には摂社となる『御縣彦社(みあがたひこしゃ)』があります。御祭神は『建角身命(たけつぬみ のミコト)』=つまり有名な『八咫烏(やたがらす)』をお祀りする神社なんです。
ここ『熊野那智大社』に限らず、熊野一帯は『八咫烏』のお膝元なんです。
日本神話にはこうあります。その昔、『(初代)神武天皇』が九州から大和(奈良)を目指した『神武東征』。大阪あたりから、いきなり奈良に入ろうとした際に、強敵にコテンパンにやられてしまい、「自分は天照大御神(つまり太陽)の子孫なのだから、東に向かって攻めてはダメだ!東から西に、太陽を背に戦わなければ!」ということに気づきました。そうして、ぐるっと回って、一旦(和歌山県の)紀伊山地(=熊野地方)まで南下して、ここから大和を目指すという作戦を立てました。
ところが熊野は深く険しい山岳地帯です。知らない土地で道も、方向も分からない状態で、消耗してしまい「神武一行」は途方に暮れてしまいます。そんな時、先祖の神様(たかみむすび神)が遣わしたのが、この『八咫烏』でした。『八咫烏』の導きによって無事熊野の山を越えた神武天皇は、太陽を背に再度戦いを挑み、見事勝利して、奈良の大和に都を造りました。
こうして八咫烏は“導きの神”として祀られて、現在では勝利へ導くという意味も込めてサッカー日本代表のトレードマークにもあしらわれていますよね。
「八咫烏」の“八咫”は大きいという意味があるそうです。つまりとんでもなく大きいカラスってことですね。さらに八咫烏を象徴する特徴的な三本の足・・・実はこれ、神話自体には直接書かれてはいないそうです。ただ、『天・地・人』の3つを表しているとか、八咫烏の元になった「熊野の有力者3氏」(神武東征を手助けしたとされる)を表しているとか、中国の『三足烏』から着想を得たものだとか、いろんな説が伝わっていてハッキリとしていません。
たくさんの“おみくじ”がありましたよ。
「幸福おみくじ」「金勝御籤」
「ひきよせ糸みくじ」・5か国語で書かれたOMIKUJI
そしてこれが「日本一のおみくじ」、大きい!持ち上げるのも大変です。
「八咫烏おみくじ」
参拝を終え、御朱印を頂きました。
『御縣彦社(みあがたひこしゃ)』
————————————-
◆熊野詣① 世界遺産『熊野古道』と『青岸渡寺』を見る
◆熊野詣③ 最強のパワースポット・日本一の滝『那智の滝』を見る
◆熊野詣④ 武蔵坊弁慶に会える『熊野速玉大社』を見る
◆熊野詣⑤ 真っ黒な八咫烏ポストのある『熊野本宮大社』を見る
————————————-
日本の神話について分かりやすく解説しています。
凛の『教えて♡神様、仏様!トリビア♪』を見る。
————————————-