宗教って何だろう?
「お・も・て・な・し! おもてなし♪(合掌)」(・・・古い?)
私たち、日本人の道徳観、価値観って、世界的に見たら結構 “少数派” なんですよね。当事者の私たちは気付きにくいかもしれませんけど・・・。
こんにちは、凛です。
「おもてなしの心」とか「和」「協調」「奥ゆかしさ」「勤勉」「慈愛」「風流」「粋」「自然や四季を愛する心」etc・・・ いいですよね。素敵だと思います。
この “日本人独特の感性” は、昔から、日常の中に溶け込んでいる「宗教」的思考が “育んできた” と言っても良いかもしれません。
では、日本人にとっての「宗教」とは何なんでしょう?
はい!ここが “日本人独特の” と言われるポイントなんです。
世界には様々な宗教がありますよね。中には戒律で「牛や豚を食べない」、「女性は顔や肌を他人に見せない」、「1日5回メッカに向かってお祈りをする」などなど、宗教を生活の “ど真ん中” に置いて暮らしている民族も少なくありませんよね。
日本人は? あなた自身はどうでしょう?
「クリスマス」を友人と楽しみ、結婚は「神前式」、あっ♡ウエディングドレスも着たいからチャペルにしようか超迷うっ!年末にはコタツで「除夜の鐘」を聞き、お正月には近所の神社に「初詣」に行って、お葬式は浄土真宗で・・・節分、イースター、七夕、七五三、ハロウィンパーティー。「星座占い」も「おみくじ」も大好き!「北枕」や「鬼門」とかも気にするし、「風水」にも少し興味がある。で、困った時は “神さま、お願いっ!” って、「まさに宗教のちゃんぽんや~♪」
そうなんです。これが、日本人の一般的な宗教感覚じゃありませんか?
(※もちろん特定の宗教に帰依している方も大勢います)
でも、これ今に始まったことじゃないんですよ。
大昔から日本人は “様々な宗教” を “受け入れ” 自分たちの風土に合わせて、「独自」のものに変化させてきました。(今回のテーマはズバリ!ここです。)
以前、私は『日本神話』についての記事を書かせていただきました。
これは「古事記」や「日本書記」と言った ”歴史書” をベースとした、日本古来の神様たちの「物語」でした。
今回は、インドで生まれて、中国を通して日本に入ってきた『仏教』が、日本人に受け入れられ、日本古来の神様『神道』と、深く結びついていった『神仏習合』についてお話ししたいと思います。
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日本における『宗教』の歴史
ちょっと硬い話になるんですが、現代の日本における宗教は憲法でこう規程されています。
「日本国憲法」第20条1項
「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」
つまり、「信じるも、信じないも、あなた次第です!」と憲法が認めてくれているんです。どの宗教でも、どの宗派でも、宗教を掛け持ちしても、無宗教でも構わないんです。そして、宗教を政治の道具に使ってもいけないし、押し付けてもいけないんです。
「そんなの当たり前じゃん!」って思うかもしれません。でも、世界にはまだまだ宗教の自由が許されない国や地域がたくさんあるんです。そして、かつての日本も、宗教は権力者によって与えられていた時代がありました。(日本の歴史において、宗教の自由が認められたのはつい最近で、実は「国政宗教」だった時代の方が、はるかに長いんですよ)
これには「良い面」も「悪い面」も両方ありました。
例えば!
『豊臣秀吉』のキリシタン弾圧(伴天連追放令)などは、とかく『秀吉』による残虐な宗教弾圧行為と捉えられがちですが、私はまったく逆だったと考えています。
スペイン、ポルトガルといった西洋の先進国は、異文化圏侵略の足掛かりとして、最初に『宣教師』を派遣して『宗教(キリスト教)』を広めて行きました。ひとしきり「教義」に染まったころ、本国の軍隊が武力にものを言わせて、いっきに制圧します。征服後の統治も、キリスト教がベースになりますから、先進国の “思うつぼ” だった訳です。
『秀吉』は、このことを知っていました。『宣教師』が本国の「国王」に「侵略の時期」を報告していることも、「ほんの少しの火薬」と引き換えに、奴隷として大勢の「日本人」を異国に連行していたことも。
事実、『秀吉』は、こういった国に対して、「国外に連れ出した日本人を至急、返還せよ!」と言い争っています。
国外に奴隷として連れ出された年頃の「乙女」、九州地方だけで ”50万人” とも言われています。労働力として連行された男性に至っては、それ以上だったでしょう。
船の中は、泣き叫ぶ「乙女」たちの声で、まるで地獄絵図のようだったそうです。
『秀吉』のこの英断がなければ、日本はとっくの昔に、欧米諸国に植民地にされ、ズタズタにされていたと思います。もちろん今のような、豊かな国にはなれていなかったかも知れません。それほど、政治、国家と宗教は大昔から深い関係にあったんですね。
さて、話を戻しましょう。
[自然崇拝のなりたち]
もともと日本には『自然信仰』という “モヤ~っ” とした信仰がありました。この世に存在する、ありとあらゆる「物」や「事」には “神が宿っている” という考えです。
まだ科学も発達していない時代に、気象や天候、病気、死、夜の闇など、人間の力の及ばないものに “神を感じ” 崇めていたんですね。
[神道の誕生]
時代は流れ、人々のコミュニティ(集落)が形成されると、その中に “人より力をもった者” が現れます。集落の中でも強い村と、弱い村ができます。やがて集落同士で主従関係が生まれるようになり、それは小さな「国」となり、人民を支配する権力者が現れます。
権力者は、「権力の象徴」や「正統性」を示すために、自分たちは「神の子孫」だと主張しました。こうして、「権力者」と「自然信仰の神」が結び付いて『神道』が誕生します。
[仏教公伝]
その頃、インドで生まれた『仏教』という宗教が、中国を通じて日本にも入ってくるようになります。
『神道』によって自分たちの「正統性」や「権力の根拠」を示してきた権力者と、新しい価値観をもった『仏教』は当初、激しく対立しました。
[神仏習合]
争いが一段落すると、伝統ある『神道』と、人々の関心を集めた『仏教』は互いに融合していくことになります。神道にせよ、仏教にせよ、『信仰』は『目的』ではなく、「国の統治」であったり、人々の「心の拠り所」であったりという、目的を果たすための『手段』だったんですね。
なので「うまく行くんなら、2つとも信仰しちゃえばいいじゃん!」という結論に至ります。ここが “日本的” なんですね。→ 冒頭に紹介した「宗教のちゃんぽん」状態です。
[神仏習合の終焉]
こうして6世紀頃から急速に日本で広まっていった『仏教』と『神道』の融和政策は1000年以上も続いていました。しかし、こんな融和政策も「ある日突然」終わりを迎えます。
そのキッカケが「明治維新」です。明治新政府は『天皇』を再び、『神』として扱い、政治利用していくことになります。「天皇の言葉は、神の言葉だよ!」と国民に仕向けます。「現人神」ですね、神が人間の姿になって現れた、これが天皇ってわけです。
そのため「日本神話」=「神道」=「天皇の正統性を示すもの」となり、『神道』を「国の宗教」にする政策、『神道国教化 政策』が打ち出され、それまで「ちゃんぽん状態」だった『神道』と『仏教』をキチンと、明確に分けましょうという『神仏分離』が進んでいくことになります。
ただし、神道国教化もなかなかうまく行かず、「大日本帝国憲法」においては、制限付きで信教の自由を保障すると謳われました。その後「第二次大戦」の頃に、民意統制のため再び『神道』に傾倒していったという歴史があります。
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『神道』と『仏教』の違い
では、そもそも『神道』と『仏教』は何が違うのでしょう。
『神道』は「日本神話」でも紹介しましたが・・・
①この世を作ったのは神様。
②この世のすべての「物」や「事」に神様が宿っている。
③神様を崇めれば「平穏で五穀豊穣」、崇めないと「祟るぞ」。
④その神様は自分たち先祖。
⑤だから、私たちは偉いので「みんな従ってね。」
というロジックで成り立っていましたよね。
一方で『仏教』は・・・
①『諸行無常』・・・この世にあるすべてのものは、絶えず「変化」しているんだよ
②『一切皆苦』・・・世の中は自分の思い通りにならない、避けられないものがあるんだよ。
③『縁起』・・・すべてのものは、周囲との「ご縁」によって成り立っていて、決して単独で存在するものではないのだよ。
④『因果応報』・・・「善い行い」をすれば「良い結果」が返ってくるし、「悪いこと」をすれば「罰」が当たるんだよ。
⑤『輪廻転生』『極楽浄土』・・・「生まれ変わり」や、「天国」といった考え。
といった、万人が受け入れやすい教えでした。
『神道』は「一部の権力者」や、「特定のコミュニティ」の “安泰・安寧” を祈る性質があり、強い威厳を一方的に押し付けるイメージで、閉鎖的かつ排他的でしたよね。一方で『仏教』は因果応報にもみられるように、多くの人々にとって、非常に納得がいく教義でした。
だからこそ、一部の権力者のための『神道』に代わって、急速に広がっていったんですね。
また「神道」では『死』や『血』は穢れそのものであり、ただただ遠ざけるべき対象でした。ですから遺体は、遠い山などへ棄てに行っていたんです(本当)
逆に「仏教」は輪廻転生や極楽浄土など “死後の世界観” も教えの1つでしたから、『死』を穢れとは捉えず、“弔う” という習慣が生まれました。
ちなみに「忌み嫌う」や「忌まわしい」の『忌む』は『神道』の「穢れ」からできた言葉です。
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『神社』と『お寺』の違い
超簡単に説明すると、『神社』は『神道』の宗教施設で、『お寺』は『仏教』の宗教施設ということになります。
『神社』には神域との境を示す『鳥居』があります。日本神話で描かれている「穢れ」を祓う、「禊」という風習から『手水舎』などが置いてあったり、しめ縄があるのも「神社」の特徴です。
一方で『お寺』は、多くの場合「お墓」があるのが特徴といえます。
『神道』では死を「穢れ」として、ただただ遠ざけるべき対象であるのに対して、『仏教』は、死後の世界観をも「教義」に取り入れて、「お墓を立て弔う」という風習が生まれたと言われています。
※法隆寺などお墓のない寺院もあります。
『仏像・仏画』を安置して『仏教』の教えを説く『僧侶(お坊さん)』の住む施設が『お寺』
『神道』に則り、日本古来の「神様」をお祀りし、神様に対し「祭祀」を執り行う施設が『神社』です。
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『神仏習合』
先述したように、権力者にとって「宗教」は目的ではなく手段でした。
急速に広がっていく『仏教』を使って、国を治めて行こうと考えるようになったのも当然のことですよね。そこで、有名な「聖徳太子」の時代(推古朝)に「仏教」を国策として広めて(利用して)いこうという動きが活発になりました『鎮護国家の政策』。
ですので、この時代の『仏教』は ”庶民のため” というよりは、”朝廷(権力者)のため” のものという意味合いが非常に強いです。
その後「神道の神」と「仏教の仏」は “同じもの” として融合していくことになります。
例えば・・・
[神宮寺]・・・「神道の神社」と「仏教のお寺」がくっついたもの。平安時代に多く建立されました。
[神前読経]・・・神様の前で「お経」を唱えること。通常、神様の言葉は「祝詞」
[本地垂迹]・・・日本古来の神『八百万神』は仏教の様々な『仏』の化身(権現っていいます)であるとする考え。
[護法善神]・・・日本古来の神は、仏教の「仏」や「仏教徒」を守る「守護神」であるという考え(本地垂迹は ”同一の神”、護法善神は守護してくれる ”別の神” )
[祟り]・・・仏教にはもともと「祟り」という概念がありませんが、こちらは日本流仏教に輸出された考えです。
[垂迹神と本地仏]
神様は、仏がこの世に現れるための仮の姿(化身・権現)であり、これを『垂迹神』といいます。
反対に、神様の正体である仏のことを「本地仏」といいます。
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『本地垂迹で同化した神の代表例』
「日本古来の神様」と「仏教の仏」が『本地垂迹』によって同化した例をまとめました。みなさん”お馴染み”の「仏様」は、「日本神話」のあの「神様」だったんですねぇ。(※キッチリと神仏一対となっているわけではないことに注意です)
《日本の国土や様々な神を生んだ》
『イザナギ』 = 釈迦如来、阿弥陀如来
『イザナミ』 = 千手観音
『火のカグツチ』 = 千手観音、伊豆山権現
→イザナミの死の原因となった火の神
『ククリ姫』 = 十一面観世音菩薩
→イザナギ・イザナミの夫婦喧嘩を仲裁(縁結び神)
《イザナギの禊から生まれた三貴神》
『天照大御神』 = 大日如来、十一面観世音菩薩、日吉
→太陽の女神、天上界の最高神
『月読命』 = 阿弥陀如来
『スサノオ』 = 牛頭大王= 薬師如来、熊野権現、阿弥陀如来
→出雲で「ヤマタノオロチ」を退治する。
《スサノオとアマテラスから生まれる》
『市杵島姫』 = 弁財天
→宗像三女神(末っ子)、「ニニギ」の育ての親。
『おし穂みみ』 = 弥勒菩薩
→5柱神・自分の代わりに「ニニギ」を地上界に降臨させる。
『大国主』 = 大黒天、阿弥陀如来
→「スサノオ」の子孫。因幡の白兎を救う。
→地上界の国造りを進める。
『スクナヒコナ』 = 金剛蔵王権現
→「大国主」の国造りを手助けする。
《天孫降臨》
『ニニギの尊』 = 『釈迦如来』
→おし穂みみの子(アマテラスの孫)天孫降臨をした。
『天手力男命』 = 不動明王、聖観世音菩薩
→岩戸隠れの際、怪力で岩戸をこじ開けた。
『オモイカネ』 = 虚空蔵菩薩
→岩戸隠れ、国譲りの際の参謀。
『猿田彦』= 道祖神 = 地蔵菩薩、馬頭観音
→天孫降臨の際の道案内、導きの神。
『木花之佐久夜姫』 = 浅間大菩薩
→「大山津見神」の娘で、「ニニギ」の妻。富士山の女神。
→出生を巡って「ニニギ」と揉め、火の中で山幸彦らを産む。
『山幸彦』 = 文殊菩薩
→「ニニギ」の子。竜宮城に行き、兄「海幸彦」を下す。
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如来? 菩薩? 何だかよく分からない!?
『仏様』の種類について
以前、「日本神話」には「八百万神」と言って、多くの神様がいると紹介しました。中には『イザナギ、イザナミ』や『天照大御神』のように有名な神様も大勢いましたよね。実は、『仏教』にも多くの仏様がいらっしゃいます。
『仏教』では基本的に『神』は存在しません。最高の存在は『仏』となります。
ただ “扱われ方” 自体は、崇められ、大切にされ、いわゆる「信仰の対象」となっているという点では、「神様に近い存在」と言っても良いと思います。
もう1点として、インドには「仏教」の生まれる以前から、信仰の対象となる神々が存在していました。
そういった “土着の神” を「仏教」に取り入れたものが『天部』とよばれる神です。仏法や仏教徒を護る「守護神」という扱いで、神であり、仏でもあります。つまり ”神と仏のハイブリット” と考えていただければ、イメージしやすいでしょうか?
では、『仏』とは一体「何」を指し、どの様な「種類」があるのかを紹介していきます。
まず、「仏教」において『仏』とは『悟りを開いた者』という意味があります。この悟りを開いた人を『仏陀』と言うんでしたよね。まさに、「お釈迦様」は悟りを開いて「仏教」を興したので『仏』です。
そして、広い意味では『悟りを得ようと修行している者』や『仏教や仏教徒を護ろうとする者』も『仏』として崇められています。
そう考えると、やはり『神道』の「神様」とは意味が異なりますよね。
さて、それでは『仏』の種類を見ていきましょう。
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[如来]
悟りを開いた者、つまり『仏陀』のことを意味します。
仏教世界では、悟りを開いた方はお釈迦様以外にもいて、その方たちも『如来』として崇めているんですね。
『釈迦如来』
お釈迦様のことです。要は仏教の中心的存在です。禅宗系の「曹洞宗」「臨済宗」のご本尊として祀られています。
『阿弥陀如来』
遥か西方の極楽浄土に住んでいて、人々を悩み・苦しみから救って下さるのが阿弥陀如来です。
「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることで、必ず極楽浄土へ行けるというのが「浄土宗」「浄土真宗」といった宗派です。ただし「浄土真宗」は仏像・仏画に対して否定的ですので、仏像を祀っているのは主に「浄土宗」ということになります。
『大日如来』
『密教』において最高位の絶対的な存在です。『密教』の教えは、この大日如来の「身・口・意の3密」を感じることです。真言宗の本尊として祀られています。
『薬師如来』
薬師如来は様々な難病を除く、病除けの仏です。「薬師」は「医者」という意味もあります。手に薬の入った壺『薬壺』を持つのが一般的な仏像イメージですが、極端に歴史の長い(作られた年代が古い)ものは『薬壺』を持たないものがあります。
『毘盧遮那如来』
『多宝如来』
釈迦が教えを広めていると、大きな「多宝塔」が現れ、如来が釈迦の説法を称賛しました。そして多宝塔の中に入り、並座して説法を続けたと言われています。このとき現れた如来が「多宝如来」と言われています。
『五智如来』
「五大如来」とも言われ、密教で5つの知恵を司る如来とされています。五智如来は中心に大日如来、その他四方を阿弥陀如来などが配されています。
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[菩薩]
悟りを得ようと(如来を目指して)修行している者を言います。如来に代わって教えを説いたり、人々を救ったりもします。
『聖観音菩薩』
「観音さま」のもととなっています。「観音=女性:母性」というイメージは中国・日本でついたものですが、もともとの性別はハッキリと分かっていません。一説ではチベット地方の女神と結びついたイメージとも言われています。そのため仏像の多くは女性らしいお顔をされています。
「般若心経」は「觀自在菩薩行深~・・・」で始まるんですが、この觀自在菩薩は『聖観音菩薩』のことです。
『勢至菩薩』
[阿弥陀三尊]
阿弥陀如来を中心に、向かって右に『観音菩薩』、左に『勢至菩薩』の脇侍を置いた形式を阿弥陀三尊と呼びます。
『十一面観音菩薩』
『千手観音菩薩』
十一面観音・千手観音ともに「密教」の教義により生まれた仏様です。
『如意輪観音菩薩』
「知恵をもって遍く一遍を照らす」と言われる仏です。
『馬頭観音菩薩』
観音菩薩は通常、穏やかなお顔「柔和相」をしているんですが、馬頭観音は怒った顔「憤怒相」をしていることが多いんですよ。
『文殊菩薩』
問答の達人である兄弟子のもとを、釈迦の代理として訪れた際に、兄弟子と対等に問答を交わしたという逸話があり、知の象徴として定着しています。このためか、神仏習合(本地垂迹)でも「知の神:思兼神」ど同一とされることが多い。「三人寄れば文殊の知恵」と言う「ことわざ」でも語られるほどの知恵者。
『普賢菩薩』
文殊菩薩が「知」で、普賢菩薩が「恵」、両尊で「知恵」となって、釈迦如来をお守りしています。
[釈迦三尊]
「釈迦如来」を中心に、向かって右に「普賢菩薩」、左に「文殊菩薩」の脇侍を置いた並びを「釈迦三尊」と呼んでいます。
『弥勒菩薩』
お釈迦様の次に『如来』になることを約束されている仏です。とは言っても56億7千万年後の未来ですけど。台に座って、片足を組み、片手(指先)を頬に当て、物静かに瞑想にふける仏像が一般的です。
『地蔵菩薩』
いわゆる「お地蔵さん」と呼ばれる仏さまで、「道祖神」や「子供を護る仏」として知られています。仏教世界では、弥勒菩薩が現れるまでの間、釈迦に代わって人々を救うとされています。
仏像はクリンクリンの剃髪で、袈裟を着て、左手に「宝珠」、右手に「錫杖:旅の僧侶がもつ杖」を持っていることが多いです。
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[明王]
「明王」は、仏陀の教えに従わない人を救う仏。簡単に言えば、更生・指導ですかね?そのため、鬼の形相(憤怒相)であることが多いです。密教の教えの中で出てくる仏です。
『不動明王』
「五大明王」とよばれるグループのリーダーで、最も有名な「明王」ですよね。逸話ではヒンドゥー教の最高神「シヴァ」を屈服させたとされています。
密教の最高位である大日如来の化身とも言われています。
仏像では「三鈷剣(煩悩を断ち切る剣)」と「縄(魔を縛り上げる)」をもっていることが多いです。
『愛染明王』
「愛で染める・・・」いいですね。でも愛は愛でも、愛の鞭の方ですね、明王ですから笑 その証拠に「憤怒相」をしています。「獅子」の冠をかぶり、蓮の花の上に座っている姿が一般的です。「不動明王」とセットで祀られることが多いみたいです。
『孔雀明王』
「慈悲」を表す明王で、仏像は「孔雀」に乗って現れ、明王の中で唯一「慈悲相」をしています。 そう言えば「孔雀王」という漫画がありましたよね。
『五大明王』
『不動明王』を中心として、『降三世明王』『軍荼利明王』『大威徳明王』『金剛夜叉明王』がいます。
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[天部]
仏教以前にインドに伝わっていた神々を『仏教』に取り込んだものが『天』と呼ばれます。「仏教」の妨げとなるような「要因」から人々を護る存在で、仏であり、神でもあるという立ち位置になります。
[十二天]
古代インドの神々(バラモン教など)が仏教に取り入れらた守護神で、方位や天地、日および月などを割当てられています。
『梵天』
「十二天」の「天」を護る神です。元々はヒンドゥー教の創造神でした。
『帝釈天』
「十二天」の「東」を護り、『インドラ』と呼ばれる神です。
→「三十三天」を率いて、「阿修羅」と戦ったとされています。
『閻魔天』
「十二天」の「南」を護ります。冥界・地獄の王として、死者の生前の罪を裁く神として、あまりにも有名ですよね。あの罪人を釜茹でにしたり、舌を “ひっこに抜く” みたいなイメージは後世のもので、インドでは元々、「穏やかな表情」で描かれることが多かったみたいですよ!(イメージ:霞関山太宗寺)
『羅刹天』
「十二天」で「西南」を護り、「破壊と滅亡」を司る神で、「鬼神」の総称でもあります。
『伊舎那天』
「十二天」で「東北」を護る神です。一説では『伊舎那天』と「その后」が日本神話の『イザナギ』『イザナミ』のモデルになっているとも言われています。
『十二天』には他に「水天」「風天」「地天」「日天」「月天」「毘沙門天」がいます。
『四天王』と呼ばれる『持国天』『増長天』『広目天』『多聞天』
→仏画は「甲冑」姿で描かれることが多い。
『鬼子母神』
ヒンドゥー教の女神。500の子を育てるために「人間の子」を食べ、釈迦によって「子を失う親の悲しみ」を諭されました。以後、仏法を護る神となりました。
『吉祥天』
ヒンドゥー教の女神で『美女』の代名詞とも言われています。「鬼子母神」の娘で「毘沙門天」の妻。
『毘沙門天』七福神を参照
「十二天」のうちの1尊。「四天王」の「多聞天」と同一神。
『弁財天』七福神を参照
『金剛力士』
→「仁王」さまのことです。「二王」とも言われ「阿形」「吽形」という2対一体の神です。筋骨隆々の立ち姿に、『金剛杵』と呼ばれる武器を持っている「像」が境内入口の仁王門に安置されることが多いです。
『十二神将』
→干支を割当てられた古代インドの神々です。
クビラ・金毘羅・バサラ(金剛力士)・メキラ・アニラ(風天)・インドラ(帝釈天)など。
→仏画は甲冑姿で描かれることが多い。古くは「敦煌」の壁画などでも見られます。
『八部衆』:仏法を守護する8神です。
→龍・阿修羅・迦楼羅・夜叉などが有名ですよね。
『二十八部衆』
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[その他]
[羅漢][宇賀神][七福神]
『羅漢』
釈迦の高弟(格の高いお弟子さん)である『羅漢』『阿羅漢』などが有名ですね。「五百羅漢」なんて聞いたことありませんか?
※東光寺五百羅漢像
『宇賀神』
出自不明とされる謎の神です。一説では『宇迦之御魂神=お稲荷さん』が神仏習合の過程で弁財天と同化して生まれた神ではないかとも言われていますが、定かではありません。
『とぐろを巻いた蛇』の体に『顔が白髪老人(一部で乙女)』という姿で現されていて、関東を中心に数多くの石像が祀られています。イメージ
『七福神』
神仏習合(本地垂迹)で同化した神仏と、中国の「道教」という宗教神が、混ぜこぜになったのが、みなさんご存じ『七福神』です。7尊すべてが縁起物として崇められているんですね。でも『神道』『仏教』ハッキリぜず、両方で祀られていることも多いんです。
『恵比寿天』
由緒:唯一の日本古来の神です。日本神話の「水蛭子」だとも言われています。
御利益:豊漁・五穀豊穣・商売繁盛
容姿:釣竿・鯛・頭巾を被った恵比寿顔の『長者姿』(釣りや豊漁は生まれた時に海に捨てられたからとも言われています。)
『大黒天』
由緒:ヒンドゥー教の最高神「シヴァの化身」と日本神話の『大国主』が習合しました。
御利益:財福と食物→転じて「大黒柱」
容姿:「打ち出の小槌と福袋と米俵」か一般的なイメージです。「袋」を背負っているのは、日本神話で兄弟たちの荷物持ちをさせられていたため:今ではその袋から福が生まれるので福袋とも言われています。
『毘沙門天』
由緒:ヒンドゥー教の神様で、もともとは戦いの神。仏教に取り入れられ福徳を諭すようになります。
御利益:福徳
容姿:甲冑に槍を持つ姿は「戦いの神」だった頃の名残り?
『弁財天』
容姿:ヒンドゥー教の女神と「日本神話」の「宗像三女神:イチキシマ姫」と習合します。もともとは「財」ではなく「才」でした。つまり楽器や弁才に長けている女神でした。
御利益:音楽・財福・知恵
容姿:琵琶(弦楽器)を持つ、羽衣姿の紅一点です。
『福禄寿』御利益:福禄・人望
『寿老人』御利益:長寿
由緒:ともに「道教」という中国の宗教の神で「南極星」の化身です。
容姿:一般的に2尊とも「杖」と「巻物」を持った白髭で仙人姿のおじいちゃんです。見分ける方法は頭巾を被っているオシャレさんが寿老人で、ツルツル頭の方が福禄寿ですね。イメージですけど。
『布袋』
由緒:中国で実在した禅宗のお坊さんです。「福の神」とも、弥勒菩薩の化身とも言われています。背負った大きな布の袋から「布袋和尚」と呼ばれました。吉凶を占うと「百発百中」だったと言われていました。
御利益:幸運・大量
容姿:大きな「袋(堪忍袋)」と「軍配(占いに使うみたい)」を持って、大きな太鼓腹をしています。この「堪忍袋」は何でも受け入れる「弥勒菩薩」のような深い心と言われています。「堪忍袋の緒が切れる」は落語の演目です。
いかがだったでしょうか?
日本人は昔から様々な宗教を、巧みにアレンジして心の拠り所にしてきたんですね。
その中には、日本古来の神様もいれば、仏教の仏様と結びついた神様もいました。
お寺や、神社で参拝する機会があれば、今までと違う角度から ”ご祭神” や ”仏像” を感じてみてはいかがでしょうか(-ω-)/
他の記事へ・・・
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