こんにちは、凛です。
前回までは世界のはじまり~スサノオ追放までを紹介しまいた。
ここからは追放されたスサノオが地上へ降り立つところからお話が始まります。さてさて、お話はどんな展開を見せるのでしょう。それでは早速いってみましょー(*’▽’)
『日本神話 ショート・ショート』
追放され、『葦原中国:地上界』に降り立った『スサノオ』。でもその前に、『三貴神』のもう1尊、『月読命』のお話をしましょう。
時間を少しだけ巻き戻して、三貴神がそれぞれ『天界』『夜の国』『大海原』の統治をしはじめた頃のお話です。
(本文)
昼と夜の決別
『夜の国』を統治していた『月読命』に、『アマテラス』が命じます。
「地上界に『保食神』という神がいるので、会って様子を見てきてください。」
命じられた『月読命』は地上界へおりて、『保食神』に会います。
『保食神』は海の幸、山の幸といった食べ物を口から次々と出し、料理をしては『月読命』に差し出します。ところが『月読命』は、『保食神』のそんな様子に「汚らわしい!」と怒り、剣で切り刻んでしまいました。
ことの一部始終を『アマテラス』に報告すると、『アマテラス』は大いに怒りました。『保食神』に対して? いえいえ、『月読命』に対して激怒したんです。
『月読命』を『悪神』と呼び。『顔も見たくありません』と言い放ちます。
それ以降、昼と夜は完全に分かれ、地上界は、昼と夜を交互に繰り返すようになりました。
その後、『アマテラス』は第二の使者として、『天熊人』を再び、遣わせましたが、残念なことに『保食神』は既に亡くなっていました。
しかしその亡骸からは「頭に粟」「眉から蚕」「眼には稗」「お腹からは稲」、その他「麦」「大豆」「あずき」「馬」「牛」と、本当にたくさんの ”実り” の元(種)が生えていました。
『くまひと』は、それらを全て天上界に持ち帰り、『アマテラス』が作った田畑『天挟田』に植えると、見事に豊作となりました。蚕は絹糸を生み、養蚕(蚕を育て、絹を得ること)が、できる様になりました。
『アマテラス』は「これで、多くの者が生きていける食料が得られるでしょう」と言って、大いに喜んだそうです。
凛のトリビアPOINT!
・五穀誕生の“くだり”ですが、私は『日本書記』の記述を基に紹介しましたが、一方で『古事記』では『月読命』ではなく『スサノオ』がしでかした悪事と記述されています。古事記ベースでは『月読命』は全編を通して、まったくと言っていいほど記述がない「忘れられた存在」なんですよね。
何の功績も罪も無く、もちろん「昼夜決別」の話も、一切出てきません。良く言えば『クール』? まさに月のように、ひたすら静かな存在なんです。
いずれにしても両記を併せて、ほとんどエピソードの無い『月読命』。そんな神の本当に数少ないエピソードでした 笑・『保食神』は女性神です。古事記では『大気津比売神』というまったく違う名前で書かれていますがこちらも女性神です。「斬られて亡くなる」という運命は変わりません。
異なる点と言えば・・・ 「スサノオ」に斬られることと、こっちは口だけでなく、“鼻やお尻からも食べ物が出てた”ということですかね? もっとも、こちらは腹を空かせた『スサノオ』に頼まれて、「おもてなし」をしてあげたのに、食文化が違うというだけで殺されてしまった悲しい話なんですけどね。
・食べ物に付着して腐敗させたり、食あたりをさせる『悪い菌』を『オオゲツ姫』で表現して、『スサノオ』はそれを退治したんだっていうヒーロー説もあります。
『日本書紀』では『月読命』は『アマテラス』に大目玉を食らいますが、一方で『古事記』には『スサノオ』はこの件に関して、一切お咎めなしという書き方なので、ヒーロー説もあながち嘘ではないかもしれません。・『天熊人』は天上界の「料理の神」とされています。
さて、話は再び『スサノオ』追放まで戻ります。
(本文)
『八岐大蛇』
『スサノオ』は出雲の『肥川』の上流にある『鳥髪』という地を訪れました。
すると上流から、『箸(食事をする、おハシ)』が流れてくるのに気付きます。「人が住んでいるのか」と思い、川を遡っていくと、おじいさん、おばあさんと「少女」が泣いていました。
スサノオ:「あなたたちは誰か?」
老夫:「私たちはイザナギとイザナミの子『大山津見神』の子(つまり2神の孫)で私は『足ナヅチ』、妻は『手ナヅチ』、娘は『櫛名田比売』といいます。』
スサノオ:「なぜ、泣いているのか?」
足ナヅチ:「私たちには元々8人の娘がいましたが、『高志』から『八岐大蛇』が来て、毎年食べられてしまいました。」
足ナヅチ:「そして、今年も間もなく ”オロチ” がやって来ます。なので泣いていたのです。」
スサノオ:「オロチはどのような姿なのか?」
足ナヅチ:「『鬼灯』のように目が赤く、8つの頭と8つの尻尾をもっています。大きさは山谷8個ほどもあり、背には森が生え、腹は血がしたたっています。」
スサノオ:「では、私が娘をもらい受けましょう。」
足ナヅチ:「恐れいりますが、あなたのお名前は・・・」
スサノオ:「私は、『アマテラス』の実弟、今しがた天上界より降りてきた」
足ナヅチ:「そのような格貴い神とは。では恐れ多いことですが、娘を差し上げましょう」
そうして、『スサノオ』は『櫛名田比売』を『櫛』に変え、くくった髪に挿しました。2人には垣根に8つの門を作り、それぞれに『酒』を樽に入れて待ち構えているように指示しました。
しばらくすると、『八岐大蛇』が娘を食べにやって来ました。酒に気付いた『オロチ』は酒を飲み干すと、そのまま酔いつぶれて寝てしまいました。
その隙に『スサノオ』は持っていた剣でオロチを切り刻んでしまいます。尻尾を切ろうとした時、オロチの体内にある「何か」にあたって剣の刃が欠けてしまいました。尻尾の中に入っていたのは特別な剣でした。『スサノオ』はその剣を『アマテラス』へ献上します。
これは『草薙剣』と呼ばれます。
この一件を機に『スサノオ』は、この『出雲の国』に御宮を作る場所を探し始めました。とある地にたどり着いたとき、あまりの心地よさに「なんて清々しいのだろうか」と言い、この地に御宮を建てました。この地は後に(スガスガシイ=)『須賀』と呼ばれるようになりました。
御宮が建つと、そこから雲が大きく立ち昇っていきました。この様子を見て、『スサノオ』は歌を詠みあげました。
【読み下し】
『八雲立つ 出雲 八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を 』
『スサノオ』は『足ナヅチ』に御宮を託し、『稲田宮主須賀之八耳神』の名前を授けました。
その後、『櫛名田比売』との間にできた神が『八島士奴美神』です。
さらに、その後『スサノオ』が『大山津見神』の子『神大市比売』を妻に迎え、できた神が『大年神』と『宇迦之御魂神』です。
また、『櫛名田比売』との間の『やしまジヌミ』が、『大山津見神』の子『木花知流比売』と結婚して子をもうけます。
こうして、代を重ね、『大国主神:通称オオクニヌシ』が誕生します。
凛のトリビアPOINT!
・『鳥髪』は現在の島根県と鳥取県の境にある『船通山』のことを指しています。この『船通山』は昔『鳥上』と呼ばれていました。この山から流れ降りる川が『肥川』、現在の『斐伊川』にことです。
・お箸は『小野妹子』が『唐(中国のこと)』から伝えたものを、『聖徳太子』がすごく気に入っちゃって、国策として広めたという説もあります。それからお箸が全国レベルまで普及した頃に、日本神話が作られはじめます。
・『ヤマタノオロチ』がやって来る『高志』は、現在の新潟県(一部福井も含む)のことです。
・『櫛名田比売』は『稲田(つまり稲)』の神です。そのため後に『櫛名田比売』が住む御宮は『稲田の宮』と呼ばれます。
河川整備(治水技術)の脆弱な当時、この『稲作』の大きな脅威のひとつに『洪水』がありました。『ヤマタノオロチ』は『洪水』を表し、稲田(ヒメ)を飲み込む様子を描いているのではないでしょうか。「毎年来る=季節ごとに毎年」と考えると納得できますね。八つの山谷を縫うように流れる川=オロチ。それが暴れる=洪水です。
・オロチの体から出てきた剣『草薙剣』は以前『岩戸隠れ』の際、『アマテラス』を誘い出すために作られた『八咫の鏡』『八尺瓊勾玉』と併せて『三種の神器』と呼ばれ、代々、天皇家(皇室)に伝わる家宝とされています。
・清々しい=スガスガしい=スガ=須賀となるのは言葉遊びです。『スサノオ』が日本で初めて詠んだ(ことになっている)和歌も『八雲』『八重』で巧みに韻を踏む言葉遊びをしていますよね。「ダジャレ」は太古の昔から日本人に親しまれてきました。
そんな中で、とても ”あの” 『スサノオ』が詠んだとは思えない美しい歌が出てきましたよね。少しだけ見る目が変わります。歌の意味を解説しますね。
【意味】雲が幾重にもなって登っていくよ。八重に連なって綺麗だな。
そうだ!妻の籠る、この御宮に八重垣を作ってみようかな。あの雲のような素敵な八重垣を。どうですか? ちょっとだけ『スサノオ』に対するイメージが良くなりましたか?
・ところで、次に結婚した『オオイチ姫』との子、『大年神』は、いわゆる『年神さま』と呼ばれる神で、正月に門松を立てお迎えする神のことです。また『宇迦のミタマのカミ』はいわゆる『お稲荷さん』のことですね。
・『大山津見神』は「大山=住み」という意味で、もちろん山の神です。日本神話では山・海などは、とても大切な位置付けです。この神は『イサナギ・イザナミ』の2神から生まれた神です。
・さて、この『大山津見神』は、一説には当時の ”有力な豪族” のことを神に見立てて表現していると言われています。その時代の日本は ”複数の” 有力な豪族が小国を作り、連合国のような形で日本という国を形成していたんだと考えられています。
・そして豪族が、権力をより強固なものにしていくために、豪族同士が娘を嫁に出すという「政略結婚」が盛んにおこなわれたと言います。神話にも『スサノオ』と『大山津見神』の一族が複雑に絡み合う描写が記述されています。というか訳の分からないことになっていますよね。
『大山津見神』の孫『櫛名田比売』と結婚し、生まれた子が『大山津見神』の娘と結婚する。そして『スサノオ』はさらに『大山津見神』の別の娘と結婚し・・・とまぁ、節操がないというか、見境がないというか、現代人には理解できませんよね。
・この頃の豪族は一夫多妻制でした。でも男尊女卑という訳ではありませんでした。むしろ、男尊女卑の考えは、だいぶ後の時代になってからの話です。その証に『アマテラス』は最高神でありながら女性ですし、持統天皇、推古天皇などの女性天皇も数多く存在しています。
そもそも夫婦の間に生まれた子は、通常、母親方の家で育てられました。(夫はもちろん別居)。そのため ”子” にとっては母親の『家』、つまり母方の祖父の影響がもっとも強く、それは父親以上であったとも言われています。
男尊女卑どころか、女性の立場は高く「子供が出来たら男は用済み、だから男は一夫多妻?」みたいな構図も自然に受け入れられていました。妻のヤキモチも、勿論ありましたけどね( ´艸`) まぁ、”やんごとなき人々”のお話です。
(本文)
『因幡の白兎』
『大国主神:通称大国主』には『オオナムチ』『ヤスハラシコオ』など5つもの名前(役割)がありました。
さて、『大国主』が、まだ『オオムナチ』なんて呼ばれていた頃のお話です。
『オオムナチ』には80もの兄弟『八十神』がいました。兄弟たちは国の仕事を『オオムナチ』に押し付けていました。その理由は、、、因幡の美しい女神『八上比売:通称ヤガミ姫』に恋焦がれ、それどころではなかったからでした。
兄弟は求婚をしようと因幡に行くことにしました。そこで『オオムナチ』に袋(旅の荷物)を背負わせて、”付き人”のように連れていきました。
そして、道中『気多』という場所を通り掛かった時、皮を剥がされた『兎』が倒れていました。『八十神』たちは、息も絶え絶えの「兎」を見てイタズラをします。皮がなく痛がる兎に「海の水で体を洗い、風に吹かれて、高い山の上で横になっていなさい」と教えます。兎は言われるがまま海に浸かり、風で乾かし、横になっていましたが、状態はますます悪化し、皮膚はひび割れ、あまりの痛さに泣いていました。
一番最後に通り掛かった『オオムナチ』が兎を見て尋ねます。
オオムナチ:『なぜ、お前は倒れて泣いているんだ?』
兎:「私は『隠岐の島』に棲んでいましたが、ここに渡るために海の『和邇』に ”どちらの一族が多いのか” 勝負しよう。向こう岸まで横に並べば私があなたたちの上を渡りながら数を数えましょう、と騙しました。そして渡り終える直前に、(嬉しくなって)和邇に騙したことを明かしました。すると最後の和邇に捕まって、皮を剥がされてしまいました。そして泣いていた時に『八十神』に教えられた通りにしたのですが、更に傷が悪化してしまいました」
オオムナチ:「すぐに川の水で傷を洗い、蒲黄を敷いて横になりなさい。そうすれば必ず回復するでしょう」
兎は再び教えられた通りに水で洗い、蒲黄を敷いて横になりました。すると、傷は見事に癒えたのでした。
これが『因幡の白兎』です。
凛のトリビアPOINT!
・『因幡』は現在の鳥取県東部の日本海沿いの地名です。
・『和邇』はもちろん日本にいない動物です。なので海のワ二=鮫と考えるのが自然ですよね。でも、もう少し後にも和邇が出てくるのですが、『腹ばいで(蛇のように)動く』とも書かれているんですよね。こう考えると『ワニ』のような気がします。「象」とか「獏」とか「麒麟」の様に外国の動物とそれを伝え聞いた人々が想像で作った『空想上の動物』かもしれません。
・兎が棲んでいた『隠岐の島』は島根県の『隠岐の島』なのか、単に ”沖合に浮かぶ島” という意味なのかは決着がついていません。ちなみに隠岐の島は『イザナギ・イザナミ』の2神が生んだ『大八島』のうち淡路・四国についで3番目に生んだ島です。
一方で『気多』が現在のどこを指すのかもハッキリとは分かっていません。ただ、鳥取市には白兎海岸、白兎神社、境内には兎が身体を洗ったとされる池『御手洗池』などがあります。また白兎神社が鎮座する場所はかつて丘があり「身千山」と呼ばれ、兎が蒲黄を敷いて傷を癒した場所だという言い伝えもあります。
・蒲黄は漢方では「擦り傷」や「切り傷」に効く薬草として知られています。この当時から効能を考えた薬や毒が認知されていたんだなぁと感心してしまいます。
このことからも、オオムナチは医療(と呼べるレベルかはわかりませんが)治療の神としても力を発揮していきます。
(本文)
『大国主神』
助けてもらった兎は、「あなたの兄弟は『ヤガミ姫』とは結婚できません。あなたが結婚をするでしょう」と予言します。
結果は、その通りのものとなりました。『ヤガミ姫』は「あなたたちの言うことは聞きません」と兄弟たちの求婚を断り、『オオムナチ』と結婚すると言いました。
これに腹を立てた兄弟たちは、共謀して『オオムナチ』を殺そうとします。『伯伎国』の手間山に誘い出し、『オオムナチ』にこう言います。
兄弟:「この山に赤い猪が棲んでいる、私たちが追い立てるので、お前は待ち伏せて捕らえるのだぞ。取り逃がしたら、お前を殺すぞ」
命じられた『オオナムチ』は、赤い猪が来るのを待ち構えていました。
ところが兄弟たちは、大きな岩を赤くなるまで焼き、『オオムナチ』めがけて蹴落としました。転がって落ちてくる焼けた大岩に当たり、『オオムナチ』は死んでしまいました。
『オオムナチ』が死んだことを知った「母神」は嘆き悲しみ、天上界のにいる『造化三神』のうちの1尊『神産巣日之命(神結び)』に助けを求めました。『神結び』は「キサ貝(赤貝)」の女神と「蛤」の女神を遣わせて、蘇生させます。
その後も兄弟は『オオムナチ』の命を狙い(※実は再度殺され、再び蘇生している)、母神が滅ぼされてしまうことを心配して、(ご先祖である)紀国の『大屋毘古神』のもとにオオナムチを送り、かくまいました。
それでもまだ、兄弟たちの執拗な追跡は止みません。とうとう『オオヤビコ』のもとにまで押しかけ弓矢を構えて、かくまっている『オオムナチ』を差し出すように迫ります。
『オオヤビコ』は「『根の国(黄泉の国)』には『スサノオ』がいらっしゃる。会えば必ず良い考えを授けてくれよう」と言って、「木のうろ(樹に開いた穴洞)」から、『オオムナチ』を『根の国』へ逃がします。
『オオムナチ』が『スサノオ』のもとを訪ねていくと、娘の『須勢理毘売(スセリ姫)』が出てきてました。2神は目が合った瞬間に惹かれ合い、結婚してしまいます。
そして、父である大御神『スサノオ』に『麗しき神が来ましたよ』と言って紹介します。『スサノオ』は神通力によって既に『オオムナチ』を知っていて、「あれは『葦原色許男』である」と『スセリ姫』に告げました。
『スサノオ』は『オオムナチ』を御殿に招き入れ、『蛇の間』に押し込みます。
『スセリ姫』は蛇除けの『比礼(布きれ)』を渡します。難なく出てきた『オオムナチ』を今度は『蜂とムカデの間』に押し込みます。これも『スセリ姫』の助けによって ”難なく” やり過ごしました。
『スサノオ』のシゴキはまだ続きます。
今度は野原に矢を放ち、それを『オオナムチ』に取りに行かせます。そして矢を拾おうとすると、四方から火を放ちました。逃げ場を失った『オオムナチ』でしたが、鼠の助言で土の中に逃げ込みます。
『スサノオ』どころか『セスリ姫』すら死んだと思った『オオムナチ』が焼け跡から出てきて命じられた通り矢を取ってきたことで、ようやく大広間に通されます。
ところが、まだ終わってはいませんでした。今度は(屈辱的な)『スサノオ』の頭に湧いた『虱』を取るよう命じます。ところが、『スサノオ』の頭に湧いていたのは「虱」どころか『ムカデ』でした。
またしても『スセリ姫』の機転で「ムカデ」に見立てた「赤土」と「木の実」を『オオムナチ』に噛み砕かせて、まるで「ムカデ」を噛み殺している様に見せかけます。『オオムナチ』の健気な姿に『スサノオ』も安心して寝てしまいました。
通過儀礼どころか「命の危険」すら感じていた『オオムナチ』は寝ている『スサノオ』の髪を大柱に堅く結びつけ、御殿の扉を大岩で塞ぎます。そして『スサノオ』の持つ『生大刀』、『生弓矢』、『天詔琴』を奪い、『スセリ姫』を背負って逃げ出します。
ところが逃げる際に『琴』が木に当たり、大きな音が鳴り響きます。『スサノオ』はその音で驚き、飛び起きます。その勢いで髪を結んだ柱が折れ、御殿の部屋が倒壊します。ですが髪を解いている間に、更に遠くに逃げ急ぎ、ようやく『黄泉比良坂』を出ることに成功しました。
『スサノオ』は『黄泉比良坂』まで追い迫りましたが、そこから遥か遠くまで逃げた『娘婿』に向かって大声で叫びます。
スサノオ:「お前が持ち去った大刀と弓矢を使えば、お前の兄弟たちを撃退できるだろう。お前は『大国主神』を名乗り、『宇都志国玉神』として、『スセリ姫』を正妻につけ、『宇迦』の山の麓に立派な宮殿に建てるのだ。」
こうして『オオムナチ』は「根の国(黄泉の国)」から帰還し、『大国主』となり、国造りが始まるのです。
凛のトリビアPOINT!
・『伯伎の国』は因幡の隣、鳥取県の日本海側に面した地域です。
・『手間山』は鳥取県に実在する330m程度の丘です。のちに戦国時代の武将が「お城」を築いた山で、現在は『手間要害』と呼ばれています。『天満』や『天万』といった文字が当てられこともあります。
・手間山の麓に『赤猪岩神社』が鎮座しています。境内には「結界」および「しめ縄」で厳重に守られた巨石が2つ並んでいるんですが、実はこの地上に出ている巨石は、その下(地中)に埋められている「赤猪岩」の魔力を封印するための石棺の蓋のようなものなんですって!
霊力が強すぎて『災厄』を撒き散らすと言い伝えられていて、現在まで硬く封印されているんです。
・ここで出てくる『死』は「半死」とか「仮死」、「瀕死の重傷」といった意味かもしれません。「滅ぶ」ことを心配しているあたり、こちらが「死」を現すのかもしれませんね。で、なければイザナミすら甦れなかったのに何で?と疑問が出てきてしまいます。
・『オオムナチ』の再生の話から、『赤猪岩神社』は復活や再起、再盛の御利益があるとして、崇められています。
・女神で表現されている『貝』は、「滋養強壮」や、病や怪我の「養生」に効く食材として古くから食されてきました。
・『根の国』はかつて『イザナミ』が『黄泉津大神』として支配していた国ですよね。『スサノオ』が亡き母神の『イザナミ』を想って泣いて懇願した場所でもあります。淡路島の幽宮で余生を送った後、ようやくここに来れたのでしょうか。
・神話に「一目惚れ」が出てきたのも非常に興味深いですよね。神話全体を通して出逢いから結婚、出産まで、かなり事務的に書かれていることが多いので、珍しい話ではないのですが、ここではあえて『目が合って、そのまま結婚した』と書かれているところに運命的な意味を持たせたのでしょうね。
・娘婿に対しての ”通過儀礼” のレベルを通り越して『オオムナチ』が「殺される!」と思うぐらい追い込んだ『スサノオ』でしたが、最後は娘の幸せを願うところに深い愛を感じましたね。陰で娘は『オオムナチ』を支えました。まさに ”内助の功” ですね。
・天上界サイドの『三種の神器』は「剣・鏡・勾玉」でしたが、出雲国の統治を象徴する三種の神器が『生太刀』『生弓矢』『天詔琴』です。
・この章でも「根の国」と書かれているんですが、やはり「黄泉の国」と同じ概念です。
・『根の国』から戻った『オオムナチ』と『スセリ姫』は、山に登って、スセリ姫の奏でる琴を聞きながら、出雲の国造りの構想を練ったと言われています。この山は琴を弾く山ということで『琴引山』と呼ばれ、島根県飯石群飯南町に実在します。そして山頂付近には2尊を祀った『琴弾山神社』が建っています。
さらに!この山では『天詔琴』が隠されていると言い伝えられていて、現在でも発掘調査などが行なわれているんですって!もし出てきたらすごいことですよっ(゚д゚)!
・『高天原:天上界』=のちの天皇家。『葦原中国:地上界』=出雲の大豪族 という原型が形成されつつありますね。
(本文)
『大国主神』は黄泉の国から帰ると、『スサノオ』に言われた通り、『生太刀』と『生弓矢』であっさりと『八十神』たちを退けます。
八十神たちに命を狙われてまで娶った2番目の妻『ヤガミ姫』でしたが、後から来た正妻の『スセリ姫』のあまりの嫉妬深さに、恐怖を覚え、『大国主』との間に生まれた子を木の股(の穴洞)において、故郷の因幡に帰ってしまった。この子は後の『木股神』と呼ばれます。
それでも『大国主』は「越後」に賢い女神(ヌノカワ姫)がいると聞けば、行って ”歌を詠んで口説き” 、宗像三女神の長女『タキリ姫』と結ばれたりと、その後も、実にたくさんの妻を娶り、子孫を増やしていきます。
この宗像三女神の『タキリ姫』との間にできた子(兄)が『阿遅鋤高日子根神:通称(高日子根)』であり、のちに『賀茂の大神』と呼ばれます。そして(妹)『下光比売命:通称シタテル姫』です。
さて、出雲の ”国造り” が思うように進まず、思い悩んでいたある日、『大国主』が、岬に立っていると、見たこともない異様な ”いで立ち” の神が船に乗って現れます。その神は非常に小さく、手のひらに乗るほどでした。名を聞いても答えず、配下の神々に尋ねても誰も、その者が誰か分かりませんでした。情報通の「案山子の神」に尋ねてようやく『小名毘古那神(スクナヒコナ神)』だということが分かります。
言葉も通じない、様子のおかしい来訪者に困って『造化三神』の『神産巣日御祖命(神結び神)』に相談すると、『スクナヒコナ』と “協力して” 出雲の国を造るように命じられます。『スクナヒコナ』は農業技術を伝えたり、温泉やお酒を広めたり、実にたくましい神でした。ところが、国造りも道半ばで『スクナヒコナ』は常世へ帰ってしまいます。
共に国を造ってくれるパートナーを失い、『大国主』は途方に暮れ、「誰か、私と共に国を造ってくれないだろうか!」と弱音を吐いていました。
すると、またしても海から “後神” を放つ「神」が現れて、言いました。
現れた神:「私を厚くもてなしなさい。そすれば、あなたと共に国を造りましょう、そうしないのなら国造りはうまく行かないでしょう」と。
オオクニヌシ:「では、どのように、もてなせば良いのでしょうか?」
現れた神:「私の『和魂』を『倭』の『東の山上』に奉祀りなさい」
こうして『大国主』は現れた神を『倭=大和』の『東の山の上=御諸山=三輪山』に『和魂』をお祀りし、共に国を造り上げていきます。
(※この神はのちに『オオモノヌシ』と呼ばれます。)
凛のトリビアPOINT!
・『大国主』の代でも、『近縁者間での結婚』が多くみられました。
まぁ、全ての神々が、「元」を辿れば『イザナギ・イザナミ』の2尊の創造神から生まれてきている訳ですから、仕方ないと言えば仕方のないことなのかもしれませんけど・・・。・この『大国主』の代では、求婚は『歌を詠んで』気持ちを伝えるという、のちの平安貴族たちの間で見られる「常識」が形成されていきます。
・意中の相手に ”歌” を贈り、贈られた相手は ”返し歌” で返答する・・・雅な感じがしますよね。
面白いことに「求婚された女性は一度断る」という ”お作法” があったそうです。
で、男はその日は大人しく帰り、翌日再び訪れて結ばれる・・・というのが粋だったとか。
現代でも「少し “じらす” のがテクニック♡」なんてよく聞きますよね。そっちの方が燃えるんでしょうか!?神様たちも使っていたテクニック・・・まさに『神テク』です笑
・異様な “いで立ち” で船に乗って現れた『スクナヒコナ』ですが、「見たこともない服装や船、その上「言葉」も通じない」とは何を表しているんでしょうか?
そうです、『スクナヒコナ』は海の向こうの外国から来た氏族なんですね。朝鮮説や沖縄説などがありますが、共に国を造るほどの強い力(異文化)を持っていたんでしょう。ただし、『造化三神』の『神結び』が「自分の生み出した神かも・・・」みたいなことをカミングアウトするシーンもあるので、遠い祖先が同じであることは間違いなさそうです。
でも『造化三神』を含めた『別天津神』は、たしか『独り神』だったのでは?とツッコミたくなりますよね。
・『スクナヒコナ』は、おとぎ話『一寸法師』のモデルになった神様です。『少彦名』と記されることが多いです。「日本書記」にも登場する愛媛県松山市の『道後温泉』は「大国主」と「スクナヒコナ」が開拓したとも言われています。
(スクナヒコナが急病に苦しんだ時、大国主が手のひらで道後の温泉に浸すと、たちまち元気になって、喜んだスクナヒコナは石の上で踊ったという伝承があります)・「少彦名神社」と呼ばれる神社は全国各地にありますが、大阪市中央区の「少彦名神社」などが有名です。
・「道後温泉本館」にはスクナヒコナが躍ったと言われる『玉の石』という石があって、(病気平癒などの)願い事をしながら、石に温泉をかけると “願いが叶う” と言い伝えられています。
・『大国主』と共に国を造ったとされる『オオモノヌシ』ですが、実は、『大国主』と同一神なんです。『和魂』とは『霊力』というか『魂』のようなものを指しています。
つまり、こういうことです。『スクナヒコナ』が去り、「これから、どうやって国造りを進めていけばいいんだ…。」とウジウジしていた “デキない大国主”。そこに、もう一人の人格“デキる自分” (大物主)が降りてきます。まさに「神が降りてきたぁ~!」って状態です。この“デキる自分”を倭=奈良の御諸山=三輪山に祀ったという話なんです。
(前説)
『大国主神』は国造りを進め、いつしか『葦原中国:地上界』は強大な国になっていました。そんな平和な地上界に不吉な影が迫っていたのです・・・
(本文)
『国譲り』神話
『高天原:天上界』を治めている『天照大御神』は、ある時、言い出します。
「 ”豊かな稲穂の実る国”(つまり『地上界』)は、私の子供である(五柱神の長男)『天忍穂耳命:通称(おし穂みみ)』が統治するのが相応しいのです」
そう言うと、『おし穂みみ』に地上に降りるように命じます。
『おし穂みみ』が『天浮橋』に立って地上に降りようとすると、当然、地上界に元から住んでいる『国津神』たちは騒ぎ出しました。
そのあまりの反感に『おし穂みみ』は一旦引き返し、『アマテラス』に「地上が騒々しいのです」と泣き付きます。
『アマテラス』は『造化三神』のうちの1柱『高御産巣日神:通称高み結び』と共に、『八百万神』を『天安川』に集めて言いました。
「地上界は私の子『おし穂みみ』に統治させると言って与えた国です。ですが、『荒ぶる神(国津神)』が抵抗するのです。誰を遣わせれば鎮めることができるのでしょう?」
そして ”知の神”『思金神』に策を練らせます。『オモイカネ』は『八百万神』と話し合った結果、(五柱神の次男)『天菩碑能命:アメノほひの』を遣わせるべきですと進言しました。
こうして、『アメノほひの』は地上に降り立ちます。ところが『アメノほひの』は『オオクニヌシ』に媚を売り、懐柔されて居ついてしまい、結局3年経っても報告すらしませんでした。
『日本神話はこんなお話です』へ
『アマテラス』は、何の音沙汰もない『アメノほひの』を見限って、再び『オモイカネ』と『八百万神』に、「次は誰を遣わせれば、うまく行くのか」と尋ねます。
『オモイカネ』は『天津国玉神』の子である『天若日子』がよいと進言します。そして『天之麻迦古弓』と『天之波波矢』を『天若日子』に携えさせて地上界へ差し向けました。
地上界に降りた『天若日子』は、国を奪うための策略として、『大国主』と宗像三女神『タキリ姫』の娘『シタテル姫』を娶ります。ところが(思いがけず時間ばかりが掛かってしまい)8年もの間報告もしませんでした。
『アマテラス』と『高み結び』は、「オモイカネ」「八百万神」と相談し、『雉』の化身である『鳴女』を遣わせることにしました。『アマテラス』は『鳴女』に、地上界に降り、『天若日子』に会って、地上界の併合はどうなっているのか?なぜ8年も連絡をしてこないのか?を問いただすように、命令しました。
命令を受けた『鳴女』は地上界に降り立ちます。『天若日子』の御殿の前に来て、『天若日子』の ”侍女” に、『天津神:天上界の神々』の言葉を伝えます。
侍女の名前は『天探女』と言います。『さぐめ』は御殿に戻り『天若日子』に伝えます、「外に不吉な鳴き声の鳥(キジ)が来ています、射殺した方が良いでしょう」と・・・。『さぐめ』は『天若日子』をたぶらかす神(天邪鬼)でした。
そう言われて、『天若日子』は天界から持ってきた神の『弓矢』で『鳴女:キジ』を射抜きました。その矢は、鳴女の身体を突き抜けて、天上界の『天安川』に集まる神々のもとまで飛んで行きました。
『高み結び』が矢を拾い上げると、矢には血がついていました。そして『高み結び』は八百万神の前で宣言しました。
「この矢は『天若日子』に持たせた神の矢である。もし『天若日子』が、天から与えられた使命を果たそうとして、悪しき神を射たのであれば、この矢は『天若日子』には当たらないだろう。しかし『天若日子』が天命の背き、邪な気持ちを持っているのであれば、この矢が『天若日子』を殺すだろう」
そう言って、飛んで来た方向めがけて矢を放ちます。
『高み結び』が射返した矢は、朝方、床に寝ていた『天若日子』の胸に刺さって、死んでしまいました。
『天若日子』が死んだことを知り、妻の『シタテル姫』は大泣きしました。
その声は風にのって天上界まで聞こえるほどでした。
鳴き声を聞いた『天津国玉神:天若日子の父』と一族は、『天若日子』の死を悟り、嘆き悲しみ地上界まで降りて行きました。
そして、『喪屋:安置する場所』を作り、『鳥』たちに、給仕係、掃除係、お供え係、泣き係など、それぞれ役割を与えて8昼夜もの間、弔いました。
『天若日子』の妻『シタテル姫』の兄である『高日子根』も祭事場にやってきました。
ここで事件が起こります!!(;゚Д゚)ナニナニ!?
『高日子根』の姿を見た、『天津国玉』や一族は『天若日子』が「生き返った(死んでいなかった)」と言って足にすがり付いて歓喜しました。
なぜ、こんなことが起きたのでしょう? 『シタテル姫』の兄『高日子根』と夫『天若日子』は瓜二つだったからでした。
ところが、死者と間違われた『高日子根』は「親友の弔いに来て、死者と間違われるとは穢れてしまう!」と言って激怒します。剣で喪屋を壊し、蹴り倒して出て行ってしまいました。
『シタテル姫』は歌を詠んで『高日子根』の怒りを鎮め、『天津国玉と、その一族』の誤解を解きました。
この時、『高根日子』が切ってしまった喪屋(天若日子の祭事場)が『美濃(岐阜)』の『喪山』です。そしてその剣は『大量/神怒剣』と呼ばれます。
凛のトリビアPOINT!
・『造化三神』のうち、最初に現れた神は『天之御中主神』は他の2神が現れると、姿を消します。次に『高御産巣日神:通称(高み結び)』『神産巣日神:通称(神結び)』が現れるんですが、この2神は、その後もよく現れ、神々に影響力をもった存在として描かれています。
特に『高み結び』は『天津神』系・『神結び』は『国津神』系で、それぞれ影響力を示します。そう言えば『オオムナチ』が一度死んだときも、『スクナヒコナ』が現れたときも、神々が頼りにしたのは『神結び』でしたよね。
・アマノさぐめ=あまのさぐ=あまのじゃく(天邪鬼)って面白いですね。
辞書では「人の言うことや、することに、わざと逆らうひねくれ者」という意味もあるみたいです。やっぱり『さぐめ』と一致しますよね。・『天若日子』が死んだ際に行った「儀式」が、その後の ”葬儀の原型” だったと言われています。「泣き係」は大泣きをして、場を盛り上げ、故人がいかに偉大であったかを知らしめる大切な役割がありました。一種の職業のような感覚ですかね。
神話の中ではまたしても『雉』が任命されています。昔の人は、雉の鳴く声が、よほど女性の泣き声に聞こえたんでしょうね。・勘違いとはいえ、子供が生きていたと足にすがり付いて歓喜する友人の親に対し、激怒して斎場を足蹴で壊すとか・・・小さいですよね~。ドン引きです(-_-;)。
・私は、『天若日子』が “生き返った” と歓喜したのは『天津国玉神』と “その一族” と紹介しました。ですが、実は死んだ『天若日子』の妻『シタテル姫』ですら「勘違いして喜んだ」とする説もあるんです(゚д゚)!
本文では『我が君は死なずて坐し~』と書かれているんですが、この ”君” とは妻が夫を指しているセリフなんじゃないかって言われているんです。つまり「私の夫は死んでなんていなかった~♪」という意味にも読めるんです。ん・・・!? だとしたら、変ですよね。だって死んだ ”夫” と似ていたのは自分の ”実兄” ですから。そして実兄と夫は ”親友” と呼び合うほど頻繁に交流していた。
・・・となると、妻は2人が似ていることは、もちろん承知していたでしょう。なので、普通に考えれば斎場に現れたのが夫ではなく兄であることは簡単に分かるはずなのに・・・。
という訳で、私は、「天津国玉と、その一族」という説で書かせて頂きました。
(本文)
地上界での様子を聞いて『アマテラス』は、次に遣わす神を『オモイカネ』と『八百万神』に思案させました。
いくつかの案が出たのですが、最後に落ち着いたのは、『建御雷神:ミカズチ神』を遣わすという案でした。さらに『天鳥船神:天鳥船』をお共につけました。
『ミカズチ神』は『イザナミ』の死の原因となった火の神『カグツチ』を、『イザナギ』が怒りのあまり切り刻んだ際に、飛び散った血から生まれた神です。
2神は出雲の『伊那佐の浜』に降り立ちました。そして剣を地面に『逆向き(刃が上に)』に突き刺し、その上に「あぐら」をかいて、『大国主』に問いました。
ミカズチ神:「私は『アマテラス』と『高み結び』の使者として参った。この地上界は我らが御子『おし穂みみ』が統治する国である。お前の意見を聞こう!」
大国主:「私ではなく、我が子『八重事代主神:通称(事代主)』が答えましょう。しかし、今は狩猟に出ていて不在なのです。」
『ミカズチ神』は『天鳥船』を差し向けて、『事代主』を探させ、呼び寄せました。そしてもう一度同じように問い詰めます。
親子で『国譲り』を迫られ、とうとう『大国主』は「恐れながら、この国は天津神の御子に、お譲りしましょう」と承諾しました。
子の『事代主』も船を蹴り傾けて『天の逆手』を打って青柴垣に変え、そこに籠もりました。
その様子をみて、『ミカズチ神』はさらに『大国主』に問いかけます。
ミカズチ神:「今、お前の子『事代主』も、『国譲り』を認めた。他に意見を言う子はいるのか?」
大国主:「私の子『建御名方神(たけミナカタ神)』がいます。それ以外には、おりません」
そこに『ミナカタ神』が現れ、大岩を持ち上げて言います。
「我が国(地上界)に来て、(私の知らぬ間に) “コソコソ” と国を譲れとゆする者は誰か? それなら正々堂々と力比べをしようぞ!」
そう言うと、2尊の神は剛力を出して組み合います。しかし、結果は『ミカズチ神:天上界』の圧勝でした。『ミナカタ神』は投げ飛ばされ、そのまま退散してしまいます。
『ミカズチ神』は『ミナカタ神』を『科野の国』の『州羽の海』まで追いかけました。そこで “とどめ” を差そうとしたときに『ミナカタ神』が命乞いをします。『国譲り』を認め、自分は『州羽の海』から一歩も出ないと誓いを立てました。
こうして、子である2神が『負けを認めた』ことで、『葦原中国:地上界』は『天津神』に明け渡されることになりました。
『大国主神』は「この地に、(大きな柱を持つ)「天まで届くような神殿」を建て自分の魂を祀らせること」「天上界に逆らう者が出ないように、子である『事代主』を『国津神』の長に就けること」を最後の注文として、遠い幽界に下がる約束をします。
『ミカズチ神』と『天鳥船』は、「出雲の『多芸志』に「天まで届くほどの高い神殿」を作り、国中の海の幸を、載せる台がたわむほど、いつまでも献上しましょう。」と約束します。
その後、『ミカズチ神』は天上界に戻り、地上界を併合したことを報告しました。
こうして、長男『おし穂みみ』のとんぼ返り、居ついたまま「音信不通」の次男『アメノほひの』、天邪鬼に翻弄され、雉(使者)を射た矢で逆に殺された『天若日子』、『ミカズチ神』と長い年月と数々の失敗を繰り返して、ようやく地上界の征服に成功しました。
この一連の事件を『大国主』が『天津神』に日本という国を譲り渡す『国譲り』と呼びます。
そして、この後、天上界の神々が地上界におり、統治する『天孫降臨』が始まるのです。凛のトリビアPOINT!
・苦労して地盤を固めてきた国を、いきなり ”乗っ取られる” という何とも不条理なお話です。普通に考えると、未開拓地が徐々に「実り多い国」になってきたので、横取りしちゃおうぜ!ってことですよね。神話の中では、ここに至る思考が書かれていないんですよね。突然の侵略行為です・・・ほんと。
それにしても大国主・・・ 『八十神』たちに苛められ、スサノオにシゴかれ、1人では国も造れず、早々に実権を子に移譲して、強い侵略者が現れたら、息子に聞いてくれと丸振りしたり・・・なんだか冴えない神ですね。
ただ、神話の中では、とてもあっさりと『ミカズチ神』に国を譲り渡していますが、実際は激しい領地争いがあったんだと思います。それこそ血で血を洗うみたいな戦いがあったんでしょう。
でも、ここを具体的に描写すると、のちの天皇家の正当性が揺らぎかねない。そんな政治的な臭い(大人の事情)がプンプンしますね。・さて、”冴えない、冴えない” と散々言ってしまいましたが、実は「大国主」は誰もが知る神様なんですよ。どういうことか(。´・ω・)?
大国→大(だい)国(こく)→大黒→大黒さま♪
そうです!大国主神は大黒天だったんですね~!
頭巾をかぶり、大きな袋を担いで米俵の上に立って、朗らかに笑っている ”長者姿” が特徴ですよね。あの袋は八十神たちに ”こき使われていた” ときの袋です。こう考えると、意外と身近に感じませんか?七福神は
『水蛭子(ひるこ)』が『恵比寿天』
『市杵島姫命:サヨリ姫』=『弁財天』とこれまで紹介してきましたよね。・『アマテラス』が地上界に神を遣わせるとき、何度も何度も『オモイカネ』や「八百万神」に意見を乞う姿勢に、少しイラッとしますよね。一番偉いんだから自分で決めればいいじゃん!って。
でも、これ当時の社会情勢が反映されていた可能性もあるんです。当時、日本は有力な豪族が集まって、共同統治していたという背景がありました。
そのため、「何をするにも協議を経てから」という合議制があり、神話に影響してしまったのではないかとも言われています。・『天鳥船』は『イザナギ・イザナミ』の子です。『神生み』の頃に生まれました。
・『伊那佐の浜』は現在の出雲市の『荒木浜』を指しています。昔、この浜は『稲佐浜』と呼ばれていました。実は、出雲大社のわりとすぐ近くで、いきなり「敵陣の真ん中」に乗り込んだというイメージですね。
・剣を逆さまに地面に刺して、刃の上にあぐらをかく・・・まるでイリュージョンです 笑
ただ、このくだりには大きく2つの意味があります。ひとつは『ミカズチ神』が「剣の神(戦の神)」だったこと。2つ目が、それだけ「霊力が凄い(力が強い)」ということを抽象的に物語っているんです。・『ミカズチ神』が『国譲り』を迫った際、『大国主』が “息子の『事代主』が答える” と返したのは、この時すでに、統治の実務は『事代主』に任せ、自分は『出雲の国』の『象徴・シンボル』として君臨していたということですね。
・『事代主』が「狩猟で不在」=「領地争いで遠征中だった」という説もあります。それを第三者が中断させて呼び戻すあたり、『ミカズチ神』ってどんだけ強いの!?と思いますよね。
・『事代主』が ”船を蹴り傾けて『天の逆手』を打って、青柴垣に変えて、そこに籠りました” というくだりの解釈が本当に難しいんですよね。
「蹴り傾けた=蹴ってひっくり返した」「天の逆手=呪術的な意味をもった柏手(手を打つこと)」「青柴垣に変えた=部外者の進入を阻む垣根」「籠る=表だって外に出ない、実権を退く」と、大体こんな意味です。
悩みどころは柏手を誰の為に打ったのか?と言う点なんですよ。
「悔しいけど逆らえないから、せめて天上界に逆手を打って ”呪い” を掛けよう!」という意味なのか、「天上界に組み入った以上、(青柴垣の中で)天上界の盾となろう!」という意味なのか・・・ 大分意味が変わってきますよね。・柏手は神社などにお参りするときに手をパンパンって打ちますよね。これが『柏手』です。通常は胸の前で打ちますが、『逆手』は通常ではない方法で打つ、呪術的な意味がある手の打ち方なんです。首の後ろで打つとかかなぁと想像するんですが、一切やり方は書かれていません。
・事代主が籠ったのは島根県の『美保』といわれ、今でも『美保神社』に主祭神として祀られています。
・『ミカズチ神』と『ミナカタ神』の力比べは、“取り組み”を表し、相撲の起源となったと言われています。相撲が神事であり、日本の国技だという理由は、こんな所からも伝わりますね。
相撲には西と東がありますが、天上界と地上界の争いと通じるものがありますね。・『科野の国』は『しなののくに』、つまり信州(長野)です。『州羽の海』とは『すわのうみ』、つまり『諏訪湖』を指しているんです。
・『神無月』とは、旧暦で10月を指します。「神がいなくなる時期」という意味です。
どうしていなくなるのか? 実は、日本中の神様が一斉に『出雲大社』に集まるんですって。
なので、神がいなくなる月=神無月となったそうです。
ところが諏訪大社に祀られている神様だけは、10月になっても諏訪にいます。このため、諏訪地方では10月を『神在月』と呼ぶそうです。
なぜか?ここは「国譲り」神話で追い詰められた『建御名方神(たけミナカタ神)』をお祀りしています。
追い詰められた際、ここから一歩も出ないと誓いましたよね。なのでここにいるんですよ。※諏訪の神だけは「身体」が大きくて、「移動が困難」だったので、他の神々が気を使って、「来なくても良い」と言ったとの説もあります。
凛のホッと♡一息コラム
『神話と大社と私』
部屋とYシャツと、、、みたいなタイトルですが・・・
こんにちは、凛です。
以前、私は記事の中で、“神話や昔話” と “現実世界” が交わる “接点” が大好物だ!なんてお伝えしました。そんな中でも、『出雲大社』はまさに “接点の宝庫” といっても過言ではありません!
というか、「日本神話」自体が、この出雲を中心として作られているんですから、当然っちゃあ当然ですよね笑 というわけで!? 今回は出雲大社にまつわる “小ばなし” を少し・・・
『出雲大社』と言えば『大国主神』が祀られている日本一有名な神社のことですよね。
『いずも“たいしゃ”』ではなく正式には『いずも “おおやしろ”』と呼びます。知っていましたか?
もっとも、出雲大社では、“たいしゃ” の方が浸透してるし、「皆がそう呼ぶのなら否定はしないよ♪」っていう大御所ぶり、さすがです笑
何はともあれ、『おおやしろ』と名乗れるのは『出雲大社』だけと言いますから、改めて “日本を代表する神社” なんだなぁって思います。
さて、この「国譲り」神話は長い間フィクションだと考えられていました。ところが、発掘や調査が進むにつれ、あれれ・・・実は、”ほぼほぼ” 実話だったんじゃない?っていう物証が出てきたんですよ!
『遷宮』といって、60~70年ごとに “ご神体” を別の社殿へと、交互に移す儀式が行われることで有名な出雲大社ですが、長い歴史の中で、社殿は何回も作り変えられてきたと言われています。
当り前ですが、“今は” 地面の上に立派な社殿が建てられていますよね。
“今は” と書いたのは、実は昔、それこそ神話の時代、社殿は “空の上” にあったんです!?
なんとなんと、あの大きな社殿が48mという異常に高い位置に建造されていたんです!! そびえ立つような大きな柱の上に!(興奮)
と言うのも、2000年に出雲大社の敷地内から『宇豆柱』と呼ばれる「杉の柱」が出土されちゃったんです。直径1.3mもの巨木を、なんと3本も束ねて1つの柱にして、その柱を9本(つまり3×9=27本)も立てて、社殿を支えていたというのです。
それにしても、48mって言ったらビル10階分の高さですよ、目がくらみ、足がすくむ高さです!
見上げるような高い神殿に向かって、地上から「階段」が一直線に延びていく・・・ 神を感じますよね。いや神しか感じません!
出てきちゃったものは仕方ない!もう認めるしかないですよね。『大国主神』が「国譲り」の際に条件として出した『太い柱を立て、天まで届くような神殿を建てる』という約束を、天津神たちが実現したってことですよねっ!ねっ!
古代文明って不思議なことが多くて、例えばエジプトのピラミッドや天空都市マチュピュチュ、イースター島のモアイ、ナスカの地上絵など、どうやって造ったの!? ショベルカーもクレーンも無かった時代に!ってものばかりです。それはもちろん日本にもあって、そのひとつがこの『出雲大社』だと思います。
今回出土した「宇豆柱」は推定で鎌倉時代のものと言われていますが、それ以前(創建初期)から高層建築だったと言われていますので更なる調査に期待です!『宇豆柱』は出雲大社の敷地に隣接している「古代出雲歴史博物館」に展示されています。ぜひ観ていただきたい “神話と現実世界の接点” です!
出雲大社や伊勢神宮に参拝する時は、『二拝四拍手一拝』と覚えておきましょう!(※通常は2・2・1)
お辞儀は90度!はいっ!そこで止めて~!たっぷり時間をかけて・・・顔を上げましょう!(ってジムのインストラクターみたいですけど笑)
手を打つ時は「手のひら」をぴったり合わせずに、少し右手を引くと良いでしょう。←手の節を合せると『節合せ=不幸せ』だからです。
ちなみに私は神社では “ずらし”、お寺さんで合掌するときはぴったり合わせます!だって『おててのシワとシワを合せて、幸せ。南無~』って言ってるじゃないですか!あっ、これCMか!?
お後がよろしい様で・・・。