【神々のルーツ】新元号『令和』1300年続く伝統。お祭り気分でも良いじゃない!?

こんにちは、凜です。

とうとう新しい元号が発表されましたね。『令和れいわ』・・・良いかもしれません!いや、私個人としては、むしろ好きです!しかも生前譲位せいぜんじょういということで、何だか日本中が ”お祭りムード” といった感じです。久しぶりに明るいニュースなのではないでしょうか。

そして、来る5月1日には、『平成』から『令和』に変わる、”記念すべき瞬間” が近づいてきました。とてもワクワクしています。

さて、そんな話題の『元号』ですが、現在では『一世いっせい一元いちげんせい』と言って、元号は天皇の在位中には変えないこと、つまり1代の天皇につき1つの元号で固定するというルールになっています。しかし、この ”決まりごと” の歴史は浅く、明治になってから『制度』として確立されたものなんです。

昔は、”同じ天皇” の御代みよであっても、縁起の悪いことが起きたので元号を変えて気分を一新しよう!とか、“白いきじ”が現れたので元号を『白雉はくち』に変えてみよう!とか、わりと簡単に、気分でコロコロと変えていた時代もあるんです。

天皇は、その御代みよにおいてわざわいがなく、国が豊かになることこそが何より大切なミッションでしたから、縁起でも、願掛けでも、先祖神でも、占いでも、すがれるものには何にでもすがっていました。“元号”と“天皇”には深い関係があったんですね。

今回は “新天皇の即位” と “改元(元号が変わること)” という国民の一大イベントが迫っていることもあり、折角の機会なので天皇家についての一考察です。

天皇家に関しての記述は、日本最古の歴史書でもある『古事記』や『日本書紀』に記されています。天皇の祖先は、この国や、木々や、山などの “ありとあらゆるもの” を作られた神様として描かれています。これが『記紀神話』、いわゆる『日本神話』です。

『日本神話』は前段では主に“八百万の神々”を通して、「物事の“起源”や“成り立ち”」を表現しています。後段では国の政治、経済、軍事などの歴史が語られています。その中で、物語の全編を通じて軸となるモチーフ・・・それが脈々と受け継がれる天皇系統ですよね。

それこそ『天地開闢てんちかいびゃく(この世の始まり)』で語られるような、歴史の始発点から、現代まで、千数百年もの長きにわたって一族の系統が受け継がれています。これは世界的に見ても、本当に稀少で、貴重なことなんです。

それも、大君おおきみみかど、天皇等、それぞれの時代で「呼ばれ方」は違えど、“国のトップ”としての立場を保持し続けている点が、世界でも類をみない、唯一の存在だと言えます。

(※エジプトのクフ王、しん始皇帝しこうてい、チンギス・ハーン、アレクサンダー大王、ナポレオンと歴史の中にはたくさんの王が実在しましたが、現世にまで受け継がれている家系はないんです!)日本って凄い・・・。

さて、天皇が『神様』であった時代から、『国民の象徴』となっている現代まで、実に125代もの皇位継承がありました。元号に至っては、日本で最初の元号である『大化たいか』から数えて、実に248番目の元号ということになります。

そして2019年5月1日には、生前譲位を経て第126代天皇が誕生するという、“歴史の転換期”に、私たち日本国民は“立ち会う”ことになりました。

ところで、日本には『皇室こうしつ典範てんぱん』という、わずか三十七条からなる“天皇と皇室に関する基本的な取り決め”があります。

内容は皇位継承権について、陛下、殿下などの敬称について、皇室会議についてなどですが、その中で『皇位の継承があったときは、即位の礼を行う』(第二十四条)、『天皇が崩じたときは、大喪の礼を行う』(第二十五条) という伝統儀式も記されています。

当然、我々一般人が覗き見ることができるような“代物しろもの”ではなく、千数百年続く、神道に基づく呪術的な儀式です。先ほどは “立ち会うことになった” と書きましたが、実際、その場での “立ち合い” などは、天地がひっくり返っても無理な、とんでもない話です。

新天皇は宮中で、古代から続く祖神に対し、「国家の安寧あんねいや国民の幸福を祈る」というものですから、その時、国民は ”静かに” かつ ”厳かな気持ち” で、恩寵おんちょうを感じ取るようにするべきだと思います。

ところが、この日本国憲法の第二条および第五条に基づいて制定された『皇室こうしつ典範てんぱん』が、同じく憲法の第二十条である、『政教分離せいきょうぶんりの原則』に反する!と異を唱える方達もいるのです。

そもそも《日本国憲法 第二十条》とは・・・

  1. 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
  2. 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
  3. 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

というものです。

つまり、『神道しんとう』という宗教に対して、国家予算を投じて、『儀式』を行うことは憲法違反ではないのか? 宗教儀式に対して政府が積極的に支援するのは政教分離に反するのではないか?というわけです。

えっ!?って感じですよね・・・そんな事まで言うの!?と。

うーん、この問題は本当に難しいです。

現に秋篠宮殿下は、『大嘗祭だいじょうさい』は国家予算ではなく、天皇ご一家の私的活動費「内廷会計(内廷費)」でまかなうべきだと・・・つまり “皇室の私費で行うこと” が良いのでは?と意見を出さています。

でも、よく考えれば、これも一理ある・・・ 政治と宗教が結びつくと“ロクなことがない”のは、既に歴史が証明していますし。

かと言って、これは単に「ひとつの宗教的な儀式」でも、「特定の一族にまつわる私的な儀式」でもなく、既に日本国民が“守り伝えて行くべき『伝統文化(伝統儀式)』”になっているのだと思います。

この問題は本当に難しいですね。皆さんはどのように考えますか?

『過去の事例』や『現在の財務状況』、『歴史的価値』、『時代の流れ』、こう言ったものを精査して、私たちひとりひとりが考えるべき時期に来ているのかもしれません。

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