【神々のルーツ】鬼の正体とは?『鬼門』の話♪

こんにちは、凜です。

皆さんは『鬼門きもん』という言葉を聞いたことがありますか? 苦手な相手や場所、やらなくてはいけないのに、どうにもうまくいかない仕事・・・ そんな時、『●●は私にとって鬼門だわぁ~(´;ω;`)』なんて言ったりしますよね。

この何とも ”おどろおどろしい” 雰囲気を放つ『鬼門』とは何でしょう。今回はそんな『鬼門』と『鬼』について紹介したいと思います。

中国から伝わった方位占術が、陰陽道おんみょうどうとして日本国内で独自の進化を遂げた結果、生まれたのが『鬼門思想(※1)』です。

一般的に陰陽道(日本の風水)では、今立っている場所から見て『北東』に、鬼が出入りする入口(門)があるとされています。これが『鬼門』です。古来より鬼とは災いをもたらす存在としておそれられていました。つまり ”北東” は ”災い” が入ってくる方向であり、きらわれる方角でした。
(※1:もともと中国にも鬼門という概念はありましたが、日本の鬼門とは、大きく異なるものでした)

その『鬼(災い)』を防ぐための“お呪い”を『鬼門封じ』と言い、権力者であれば北東の方向に『寺院』を建てたり、庶民であれば “魔よけ” として『ひいらぎ』や『南天なんてん』などの樹を植えたりして、鬼が入ってくるのを防ごうとしていました。

現代でも、家を建てる際に、家の中心部から見て北東に玄関や水場(台所、トイレ、風呂場)を作らないという風習が根強く残っています。

北東の『鬼門』に対して、真反対である“南西”の方向は『裏鬼門』と呼ばれ、こちらも『鬼門』同様に不吉な方位されています。

さて、では、そもそも当時の人々にとって『鬼』とは何だったのでしょうか? 絵本などのイメージでは、“トラ柄の腰巻” に、もじゃもじゃ頭からは角が生えていて、牙があって、金棒とかを担いでいるといったところでしょうか。

でもこれ、江戸時代に歌舞伎などの演目から定着したイメージらしいんです。鬼と言う表現はそれよりも遥か昔、『日本書紀』の頃にまでさかのぼると言われています。

そこでは『邪神』『まつろわぬ(従わない)神』のことを『鬼』と表しています。つまり神=鬼と表現しているんですね。

また、“姿がハッキリとしない存在” だったことから『居ぬ』『おらぬ』『おぬ』が、やがて『おに』となったとも言われています。

疑心暗鬼ぎしんあんき』という言葉があります。

これは「疑い始めると、何でもない事が “怖い” と感じる気持ち」を指す“ことわざ”ですよね。直訳すれば『疑う心が闇の中に鬼を見せる』ということですね。

古代では夜や影などの “闇” を異常に畏れていて、そこによこしまな存在 = 『鬼』を感じていたと思います。私はその『闇(に対する恐怖心そのもの)』が『鬼』の正体だったのではないかと考えています。

現在も残る有名な鬼門封じ

≪江戸≫

・『江戸城(現在の皇居)』では、『鬼門封じ』として『寛永寺かんえいじ(台東区上野)』、『神田明神(千代田区)』を、裏鬼門封じとして『増上寺ぞうじょうじ(港区)』を配しました。
・『江戸の街』全体を守るために、日光東照宮を建立したとされています。日光東照宮の主祭神は『東照とうしょう大権現だいごんげん(=徳川 家康公)』です。つまり家康公自身が死後も江戸の街を守護するために建立された寺院だったんですね。ただし江戸から見て日光の方位は『北』にあたります。

≪京都≫
・京都御所や東本願寺は、敷地外周の壁の中で、鬼門の方角に『け』と呼ばれる、凹みを設けています。
・同様に『平安京(現在の京都)』では、“都全体”の鬼門封じとして、比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじ下賀茂しもがも神社を配していました。

前回記事 → 祟りから逃れるために都を移した?『平安京』

≪鎌倉≫

みなもとの頼朝よりとも 公によって開かれた街、古都『鎌倉』も四神相応しじんそうおうなど方位を重視して造られました。
『鶴岡八幡宮』(=鎌倉幕府所在地周辺)を中心に鬼門封じとして『荏柄えがら天神社』、裏鬼門封じとして『江ノ島神社』を配しています。

「大昔の人々が、どれ程方位を気にしていたのか?」そんな背景を踏まえて、街並みや建物を眺めてみると、今までと違う一面が垣間見えるかも知れませんよ。

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日本の神話について分かりやすく解説しています。

凛の『教えて♡神様、仏様!トリビア♪』を見る。

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