【神々のルーツ】祟りから逃れるために都を移した?『平安京』

都は頻繁に変わっていた!?

こんにちは、凛です。

今回は日本の首都、昔で言えば『みやこ』のお話をしたいと思います。

日本の長い長い歴史の中には、“時の権力者”によって、たびたび『都』(=国の中心となる場所)が変わることがありました。

古代では『滅んだ国』が、どこにあったのか?が、分からなくなってしまっている場合も少なくありません。(※有名な『邪馬台国やまたいこく(卑弥呼ひみこの国)』も、“どこにあったのかが分からない” 古代国家のひとつです。)

では、なぜ都を別の場所に移す必要があったのでしょうか?
ストレートな理由をあげれば、国家間の争いで、一方が滅んでしまった場合などでしょう。

戦に敗れ、国ごと吸収されてしまえば、当然、政治の中心地は戦勝国へと移ることになります。
また、中央集権国家が出来てからは、『大君おおきみ(天皇)』などの、代替わりによって新たな場所へ移ることもありました。

ところで、新たに都を築く “その場所” はどのように選ばれたのでしょう。
そこには ”新体制” が ”旧体制” の影響力を排除するため、”新たな為政者いせいしゃが最も影響力を発揮できる場所に移す” という理由もあったでしょう。

でも、都を移す理由は、そんな国同士、人間同士の争いだけではありませんでした。

実は、「怨霊やたたりから逃れるために場所を変えたい!そうだ、『陰陽道おんみょうどう(今で言う風水)』で占って、最強の方位で場所を決めよう!」と言う、驚きの理由で作られた『都』もあるんです!

その最も有名な例が、くようぐいす、、、そう『平安京へいあんきょう』でした。

『平城京』から『長岡京遷都』

そもそもの話になりますが・・・

今から1200年以上前の西暦784年『(第50代)桓武かんむ天皇』の時代に、もともとあった『平城京』と言う、とても大きな都を離れ、遠く“長岡の地”に都を移した歴史があります。これは後に『長岡京ながおかきょう遷都せんと』と呼ばれます。(遷都せんととは都を移すという意味ですね)

『平城京』は現在の奈良県の奈良市と大和郡山市やまとこおりやま付近にあった都で、西暦710年から実に70年以上も国家の中心地だった場所です。一方で『長岡京』は現在の京都府向日市、長岡京市、京都市西京区辺りで、なんと2つの都は直線で40㎞以上も離れていました。

『平城京』は確かに立派な都でしたが、桓武かんむ天皇は、長く目の上のこぶだった文武もんむ系の天皇をようやく排除した関係から、拠点を『旧体制の影響が及ばない新天地』へ移したいと考えていました。もう1つの理由として、『平城京』が、飲み水や生活用水をはじめ、河川を使った物資の運搬など、地理的にも “水” に恵まれていなかったためとも言われています。そこで、思い切って、旧体制の影響が及ばない遠く離れた場所で、かつ河川や地下水脈の豊富な『長岡京ながおかきょう』に都を変えることにしたのです。

祟りから逃れるために、たった10年で2度の遷都

ところが!『長岡京』に都を移すと直ぐに、桓武かんむ天皇政権に対して、クーデター事件が起きます。
クーデターは鎮圧されましたが、その首謀者として処刑されたのは、なんと桓武かんむ天皇の実弟の早良さわら親王しんのうでした。
(※実は桓武かんむ天皇の後を継ぐものとして、次期天皇である“皇太弟こうたいてい”という地位にあった早良さわら親王しんのうが、わざわざクーデターを起こすとは考えづらいため、謀略ぼうりゃくはまったのではないかともいわれています)

早良さわら親王しんのうが処刑されると、都には次々にわざわいが降りかかってきました。
日照ひでり、飢饉ききん疫病えきびょうの流行、皇后こうごうをはじめとする桓武かんむ天皇近親者の相次ぐ死、伊勢神宮の放火、皇太子の病気などなど、考えられないほど短期間で様々な事件が起きました。

陰陽師おんみょうじが原因を占ったところ、早良さわら親王しんのうの怨霊がわざわいをもたらしているという結論に至ります。
桓武かんむ天皇は早良さわら親王しんのうの怒りをどうにかしずめようと、鎮魂ちんこんの儀式をり行うのですが、まったく効果がなく、今度は大雨による大水害が立て続けに発生しました。

このままでは早良さわら親王しんのうの“たたり”によって国も自分も滅んでしまうと考えた桓武かんむ天皇は、和気わけの清麻呂きよまろの推薦する『平安京』に都を移すことにしたのです。
こうして『長岡京』に都を移してから、わずか10年での再移動となっていまいました。

最強の方位に守られた都『平安京』

さて、和気わけの清麻呂きよまろが『平安京』を推薦した理由ですが、この地が『陰陽道おんみょうどう(今でいう風水)』によって導かれた最強の運勢をもつ土地(四神相応しじんそうおう)だったからです。

簡単に説明すると、最強の運勢とされる土地の条件は

・北に『玄武げんぶ』を表す山や丘、南に『朱雀すざく』を表す湖沼、東に『青龍せいりゅう』を表す河川、西に『白虎びゃっこ』を表す大通りがあることでした。

そして、和気わけの清麻呂きよまろが選んだ地こそが、北に『船岡山ふなおかやま』、東に『賀茂川かもがわ』、南に『巨椋池おぐらいけ(※1)』、西に『山陰(陽)道』を擁する『平安京』だったのです。さらに鬼門きもんふうじとして比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじ、日吉大社、広隆寺、松尾大社、石清水いわしみず八幡宮など数々の大寺院を配して、徹底的にわざわいを防ごうとしています。

(※1:巨椋池おぐらいけは現在は埋め立てられて農地になっています)

ちなみに『最澄さいちょう』がおこした比叡山延暦の『延暦えんりゃく』は桓武かんむ天皇の時代の年号です。

延暦寺えんりゃくじたたりにおびえる桓武かんむ天皇の最後のとりでだったんですね。当時の桓武かんむ天皇の畏怖いふの念や、必死さが伝わってくるエピソードです。

教科書にまで ”祟りが原因” と・・・

まだ “この世” と “あの世” の境がはっきりとしない時代、こんなスピリチュアルな感覚で、国家の一大事業である『遷都せんと』をしてしまうなんて、本当に宗教と政治は深く結びついていたことが分かりますね。

日本史の教科書にも、桓武かんむ天皇が ”たたりに悩まされて” 平安京に遷都したと書かれています。これは非常に意味のある、面白い事実なんですよ。

京都は『風水の街』なんて呼ばれたりします。現在の京都の原型となったと言われる『平安京』。

その場所選びや、都の造営、寺社の配置に至るまで、すべてが占いで決められていたことを考えれば『風水の街』という異名にも納得ですよね。

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日本の神話について分かりやすく解説しています。

凛の『教えて♡神様、仏様!トリビア♪』を見る。

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