こんにちは、凜です。
今回は ”呪い” と ”祟り” という、かなり ”オカルトチック” な内容の記事を書きたいと思います。
いきなり、”呪い” とか ”祟り” だなんて言われると、何だか怖いですよね。ほんと不吉なことしか想像できません(>_<)
ところで、神様の最大の特徴は『祟ること』・・・なんて言われることがあります。
そうです!「神様は祟るもの」なんです。
そして日本神話にも、実にたくさんの祟りが描写されています。
神話でもたびたび登場する、この『祟り』とは、はたしていかなるものなのか!?
ほんの少しだけ、ご紹介していきたいと思います。
呪いと祟りは何か違うの?
そもそも、同じ言葉のようにも思える『呪い』と『祟り』には、実は違いがあります。
『呪い』とは生きている人が、特定の相手に向けて放つ「呪念」がもたらす「何らかの効果」です。つまり呪いをかけるのは『人』なんです。
人が自らの念を相手に向けて放つ場合と、霊的な存在の力を借りて目的を達成しようとする場合があるんですが、いづれにしても強い ”恨み” などの攻撃的な心情が発端となっている場合が多いんですね。
一方で『祟り』とは神々や、力の強い精霊が人間に与える災厄を指しています。こちらは神様の仕業なんですね。実在の人物が非業の死を遂げ、悪霊となり災いを振りまく場合も『祟り』として扱われる場合があります。
昔から人々は、祟りを起こすものを『祟り神』として畏れ、怒りを鎮めるためにお祀りしてきました。多くの神社や祠は「祟り封じ』の意味を持っています。
どんな呪いがあるの?
それでは、呪いとは実際にはどのような方法があるのでしょう?古来から伝わる有名なものとしては・・・
・『藁人形』や『形代(和紙で出来たヒトガタ)』、『人形』『相手の写真』などを使った呪い・・・自分の相手を恨む「念」で、呪いの相手に災いが起きるように願掛けするものです。
→ 丑の刻参りなんて言われています
・縁切り神社 ・・・精霊や神仏の力を借りて相手を呪う方法です。
・コトリバコ・・・要注意
などがありますが、専門外なので詳細は差し控えますΣ(・ω・ノ)ノ!。
呪いは便利な魔法じゃない!?
実は、呪いとは一方的に嫌いな相手を懲らしめるだけの便利な魔法ではありません。相手にかけた力と同じだけの悪い力が、自分にも返ってくると言われています。
『人を呪わば穴二つ』と言う”ことわざ”を聞いたことがあると思います。相手を殺してしまいたいほど恨んで、呪いをかけるのであれば、「相手だけではなく、自分の入る ”墓穴” も用意しておきなさい」という意味です。
呪った相手が、呪いを返してくる『呪い返し』なんて言われるカウンターパンチみたいな呪法も存在するそうです、なんだかゾッとしますね。
「嫌なコト」なんてサッサと忘れて、美味しいものを食べて、ポジティブに生きていたいですよね。お気楽人生が一番です! 恨みや呪いなんて幸せになれる気がしません(>_<)
優しい呪いもある?
呪いは、強い恨みとか、深い憎しみから、”相手を攻撃しよう” というものが多いのですが、中には『優しい呪い』というものもあるんですよ。
『呪い』と書いて『呪い』とも読みます。
子供の頃、転んで膝を擦りむいたりしたら、おばあちゃんや、お母さんが『痛いの痛いの飛んでいけぇ~』って、お呪いをかけてくれませんでしたか?
すると、あら不思議・・・ まだ痛いけど、少し痛くなくなってきたような・・・そんな優しい感じに包まれた記憶はありませんか?
人の願いや祈り、発する言葉には不思議な力が宿るんです。
「相手を懲らしめたい!」だけでなく「相手の苦しみや痛みを癒したい」というのも立派な呪いなのかもしれません。
神様は意外と ”かまってちゃん”?
神様はお祀りされるのが大好きです。畏れられ、崇拝されることに喜びを感じています。
自分を信じるものには、手厚く御利益を与えてくれます。
一方で、放っておかれたり、信仰心が薄れてきたり、『禁足地』と呼ばれる、人間が踏み入ってはいけない神の領域に入ったり、神域を汚すなどの無礼を働くと『祟り』をふりまいたりもします。
お稲荷さんは祟る?
「お稲荷さんは祟るから、うかつにお参りしてはいけない・・・」そんな都市伝説があります。「一度、お参りしたら、お参りし続けなければならない」とか、「お礼参りをしないと祟られる」とか、いろいろな言い伝えがあるのも事実です。
狐の像がたくさん祀ってあったり、”いかにも”といった雰囲気の祠があったり、稲荷神社が異空間的な神気を発している場合が多いので尚更です。
でもこれ、なにも ”お稲荷さん” に限った話ではありません。
どのような神様であっても、何度も参拝に来てくれれば嬉しいものです。逆に信仰が薄れることは、『不敬』と捉えられて、場合によっては災いを起こすかもしれません。
本来、お稲荷さんは豊穣豊食や商売繁盛など、有り難い御利益をもたらしてくれる、たいへん ”温和な” 神様です。
再び参拝する機会が少ないと思われる遠方の神社でも、『もう来れないかもしれませんが・・・』とは告げず、「いつか機会があれば、お礼参りに来たいと思います」と思うだけでも良いんです。神様はその気持ちを感じて喜んでくれることでしょう。
有名な祟り
さて、ここからは『神の祟りだ!』と恐れられた有名な事件、事象を紹介します。
[日本神話] 大物主の祟り
第10代、崇神天皇は『祟り神』と書きますが、事績からすると『祟り神の天皇』ではなく、『神を崇めた天皇』でした。 崇神天皇の時代、国民の半数が亡くなるほどの疫病が大流行しました。神の祟りであると思った天皇は、宮中で『天照大御神』と『倭大国魂神』を一緒に祀っているのが良くないと考えました。二柱の神が互いにぶつかり合い災いをなしたのだと。そこでニ神を、それぞれ別の場所に祀ることになります。天照大御神に『豊鍬入姫命』を、『倭大国魂神』には『渟名城入姫』という娘たちをつけてお世話をさせますが、『渟名城入姫』は神気にやられ “髪が抜け落ち、病的にやせ細って” 倒れてしまいます。
結局、祟り神の正体は『大物主』という別の大神であることが分かり、大物主の祟りを鎮めるために三輪山に大神神社を建てたと言われています。
三大祟り(三大怨霊)
非業の死を遂げ、その死後に『不可解な事象や災い』が次々と起こったという逸話があります。特に顕著な事例のため三大祟りと言われたのが、菅原道真公、平将門公、崇徳院の3人です。後世に歌舞伎の演目などにも取り入れられて有名になりました。
菅原道真の祟り(清涼殿落雷事件)
現在では ”学問の神様” として崇められる『菅原道真公』ですが、激しい政権争いの末、左遷され病死に追いやられてしまいます(昌泰の変)
その後、道真公を追いやった政敵の有力貴族たちが次々と病死、変死を繰り返していきます。極めつけは内裏の『清涼殿』という場所で、天皇を交えた御前会議の場に激しい落雷があり、政敵が複数人亡くなっています。それはそれは、ひどい状態だったらしいです。あまりの惨状に、目撃していた醍醐天皇も体調を崩し3か月後に崩御します。
彼らはすべて、道真公を陥れた主要人物ばかりでした。『清涼殿落雷事件』
平将門公の祟り(将門の首塚)
平安時代の中頃から世が乱れはじめ、貴族に変わって、武家が治安を維持する ”警護役” を務めると、しだいに力を持ち始める様になります。いわゆる清和源氏と桓武平氏です。その始祖である平将門公は関東を手中に入れ、やがて朝廷とも対立するようになります。
朝廷側との激しい戦いの末、将門公は討たれて、その首は京都の都大路に晒されました。
その首は、夜な夜な目を見開いては、「胴と首をつなげて、もう一戦交えよう!」と叫んだそうそうです。そして空に舞い上がり、関東まで飛んで行ったという伝説が残っています。
首が飛来したと伝えられるのが東京都千代田区大手町にある『将門首塚』です。
西暦1300年代に、この地で大規模な疫病が蔓延し、将門公の祟りと恐れた人々は、首塚近くの『神田明神』に将門公を祀り、鎮めたと言われます。
近世に至っても、将門公の祟りは消えず、関東大震災で壊れた財務省を、首塚を潰して建て替えようとすると、関係者が次々と亡くなり、他にも、けが人、病人がものすごく出たそうです。結局工事は中止されました。
『崇徳院』の祟り
『三大祟り』の最後の1つは、第75代『崇徳天皇(後に崇徳院)』が起こした祟りです。
元々は祖父で強大な影響力を誇った白河天皇と、父である鳥羽天皇との間にあった確執から、巻き込まれる形で父と弟、その他の政敵たちによって陥れられ、最終的には罪人として無念の死を遂げた天皇です。
このように『崇徳天皇』は、歴代天皇の中でも群を抜いて不幸な運命に翻弄されました。
あまりの仕打ちに、舌を噛み切り、その血で「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」「この経を魔道に回向す」と書き綴ったと言われています。
そして平安末期の大混乱へとつながる大事件(政敵たちの死、延暦寺強訴、平安京の3分の1を焼く大火災、鹿ケ谷の陰謀など)が次々に起こり、恐れをなした後白河天皇によって鎮魂の儀が行なわれましたが、それでも貴族たちの力は急速に衰えていきました。
近代に至ってもなお、崇徳天皇の鎮魂は続き、明治天皇は即位の際に勅使を出して『崇徳院』の御魂を京都へ戻し、『白峯神宮』を創建して祀ったと言われています。
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日本の神話について分かりやすく解説しています。
凛の『教えて♡神様、仏様!トリビア♪』を見る。
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